2人目の子どもを望むのか、自分の中で考えがまとまりません。
1人目を産む前は漠然と子どもは2人欲しいと考えていましたが、
1人目の子が3歳をすぎ、少し手が離れたので2人目を考え始めたところ、
1人でいいのでは?という気持ちが強くなっていることに気がつきました。
自身は2人姉妹の妹で、姉にコンプレックスを抱きながら姉の真似をして育ち、
アイデンティティを失ったという気持ちがあるなかで、
今、誰とも比べられず一身に親の愛を受けている自分の長男をみていると、
同じように育てることはできないであろう2人目の子どもは可哀想だなと思ってしまいます。
一方で、自分が年老いた時に、長男に支え合うことができる兄弟がいたらいいなとか、あまり協調性がなさそうな長男に兄弟がいれば、
社交性が身につくのではないかとか、
自分は長男1人に過干渉な親になりそうなので、
分散するのが適切なのではないかとか考えています。
浮かぶ理由が全部、長男のため、なところが気持ち悪いです。
中田さんのご家庭は奥様のつわりが重く、お子様はお一人と認識しておりますが、
家族計画について、お考えや参考になる本があれば教えて欲しいなと思います。

中田:‖さん
いや、親が望むならば2人目いっちゃいましょう。親から望まれて生まれてきたのだという確信があれば、きょうだいといろいろあっても折り合いはつけることはできると思います。質問者さんもお姉様に対しては葛藤があったのかと思いますが、だから私は生まれてきてはいけなかったのだとか、産んでほしくなかったとまでは思っていないのではないでしょうか。であれば、ご自身の辛い経験を以てしてもなお、2人目ができることは全体としては肯定されているはずです。
「誰とも比べられずに一身に親の愛を受けている長男のため」という表現からは、「自分の姉は親の愛を一身に受けてきた」記憶が強く影響しているように拝察されます。姉のように愛されたい、だからずっと姉の真似をしてきた、でも望むようには親の愛を受けられず、「お姉ちゃんはできるのにあなたはできないのね」のように比べられてきた。その渇望や虚無感を「アイデンティティを失ってしまった」と表現されているのではないでしょうか。第二子をためらうのは、長男のためというよりも、当時の自分のような子を再生産したくないという恐怖が下敷きにあるのではないかという気がします。
なぜ「長男のため」という理由をすぐに思いついてしまうのか?それは「第一子だけが親の寵愛を受けるのが当然なのだ」と思い込むことで、親の愛を望むように得られなかった幼い自分と、それでも愛している親のことを同時に肯定したいからだと考えられます。無理やり認知的不協和を解消しているんですね。冒頭に「親に望まれて生まれた確信さえあれば」と書きましたが、第二子を産む不安は、第二子だった自分が実親からどう思われていたのか疑問に思ってしまった経験に起因している可能性もあります。
でももう大人なのですし、それどころかもう親なのですから、そろそろ自分の親を全肯定することから脱却してもよい頃です。第二子を生んで、そして第二子を長男とは別人格の一人の子として愛することができれば、実親の育て方を否定する形で当時の自分を癒すこともできましょう。「親になれば自分の親のありがたみがわかる」とよく言われますが、逆に親になったことで昔の親の言動はやはり間違っていたのだと気づくことも多くあります。親だって完璧ではないのですから(それは私や質問者さんが親として完璧でないように)当時の質問者さんの親御さんの育て方もきっと完璧ではなかったのです。お姉様と比べることなくアイデンティティを育むことだってできたのにできなかった。だからその反省を生かして自分は第二子も愛してやろう。そんな心構えでもよいのではないでしょうか。
お気づきとは思いますが、何を以て「長男のため」なのかを親の側で事前に判断することは妥当性に欠きます。兄弟姉妹の関係は多種多様なので期待したような人間関係にならないかもしれませんし、逆に期待以上の実りがあるかもしれません。長男さんにとっての実利については事前に予想できないので、そうではなく「第二子が欲しいし、愛してみせる」という希望と覚悟のみが決断の根拠になると思います。そしてそれは第一子でも同じなのではないでしょうか。生まれてきた子が幸せになるかどうかは不確実ですが、少しでもそうなるように親が愛し育てるしかありません。
第二子として生まれた自分を肯定するためにも、第二子を産むことをためらうことはないと思います。