ネルさんの幸福論に繋がる話、共感するところが多かったです。私の場合は、出世競争をしたいわけじゃないけど、かと言って成長したくないというわけでもないから成長のための努力はする、手を挙げれば駐在でき金銭的、キャリア的な損得だけ考えればその機会を掴むべきだが海外で暮らしたくないので行かない、とか。自分で考えて決めた軸で捨てるものを決めれば頭と心がスッキリして無駄に悩むことが減りました。本当は自分の中では決まってるのに他人の価値観に影響されて悩んでただけなんだなと気づきました。
ネルさんは幸福論にいたる何かきっかけがありましたか?私は上司も家族も駐在を勧めてくるが、駐在が嫌すぎて何が幸せなのか考えたのがきっかけでした。 私の職場の人(海外との取引が多いJTC)はあまり深く考えてる人がいなさそうです。深く考えずとも自己肯定感高くて幸せな人、子供に全振りして幸せな人、他人の価値観に惑わされ続けてる人、あたりが多そうですがいずれにせよ、あまり考えてはなさそうです。

ネルさん
私の場合は、祖父の葬儀で従兄弟たちに再会したのがきっかけです。
当時の私は、そこそこの大学を出て、超一流企業に就職し、都心3区のほぼ新築のマンションに住み、20代前半で年収は1,000万円を超えていました。
形式的なスペックだけでいえば、間違いなく全国で上位0.1%以内でしょう。しかも、ド田舎で生まれ育って、その地位を手に入れたのです。自分の努力量に誇りを持っていました。
一方の従兄弟たちは、全員が地元に住み続け、全員が高卒で就職し、全員が子育てをしていました。表面的なスペックで言えば、日本の平均以下です。
経歴や地位では圧勝していたにもかかわらず、従兄弟たちのほうが圧倒的に幸せそうでした。
正直ショックでした。
私と従兄弟たちは、育った環境に大差はなく、外見も似たりよったりです。何なら遺伝子も何割かは同じです。
ほぼ後天的な要因のみで、幸福度に大きな差がついていたということになります。
上記の状況を受けて、私がやってきた努力は、あくまで競争に勝つための努力であって、幸福になるための努力ではなかったということに気づきました。
幸福になるための努力という観点では、私は、従兄弟たちと比べて努力不足だったのです。
それ以降、競争から降りることを考えはじめました。限られた時間を使ってたくさん悩んで、カウンセリングに通い、自分の人生の設計を見直しました。
もっとも、それまでの努力をほぼ全否定し、人生の方針を180度変えるわけですから、実際に判断するまでにはある程度の時間がかかりました。
ただ、間違いなくこの葬儀が転換点となりました。