01月01日

質問者さん

MBTI診断やったことありますか?なかったらやってみてほしいです!結果教えてください!あと、こういう診断についてどう思いますか?

01月03日

槙野 さやか

槙野 さやかさん

一年ほど前かな、人にやってみてほしいと言われて診断したことがあります。さきほどネット上のテストをやりましたが、ENTPというタイプでした。一年前もたぶんこれだったと思います。 人をタイプ分けしてわかりやすいラベルをつけることは、人類の多くが必要とするおこないです。なぜなら私たちの認知リソースはかぎられており、相対する人の全員を個別具体的に把握することが困難であるからです。だから私たちは「型」に魅力を感じる。型に入れておけば細かな理解をしなくてもだいたいどうにかなる。そうしなければ大量の人と相対することができない。 それは現代の私たちの偽らざる本音であるとは思います。それに、多くの人には「自分について説明してもらいたい」という欲求がある。説明されたい、解説されたい。それはコミュニケーションによってかなえられるものでもあるんだけど、コミュニケーションは相互的なものです。相手なしに、自分についての不快でない解説だけを享受したい。だから占われ、診断されたいという欲望が生まれるのでしょう。私にはそれが、愛さずに愛されることへの希求に見える。 しかし私は、少なくとも自分に近しい人々に対しては、そうしたものを使用したくない。できるかぎり個別具体的に、フォーマットなしに認識したい。理由はとくにないですが、強いて言うなら私は個別具体性を愛しているのです。 しかしながら私の認知リソースも少ないので、仕事などですれ違う多くの、そして個人的に親しくなるつもりのない人に対しては、自分なりの「型」を使用しています。できあいのものがあまり肌に合わないので、自分で開発したのだと思います。 その型も、親しい友人、ないし親密な関係とその候補となる人々に対しては、まったく使用しません。「そんなのはよくないことだ」とさえ思っている。 恋のはじまりはステレオタイプへの信仰告白、愛のはじまりは個別性への渇望、エロスはその隙間に打ち上がる花火だと、私は思っています。 さて、タイプ分け系の占い・診断系全般についてはこんなところです。 質問者さんご推薦の診断についてどう思うかですが、私の世代が若かったころに使用されていた血液型別性格占いなどに比べればよほど結構なものだと思います。少なくとも生得的な指標を使用して「性格」を扱うつもりはないようですし、診断する人間の意思によって操作可能なものですから。

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槙野 さやか

槙野 さやか

短編ブログ『傘をひらいて、空を』https://t.co/54T5XhoWkA 、感想文と読書会(https://t.co/N3Pva2w9ZX →Radiotalk #小さな鳥たちの読書会)。ときどき商業媒体の依頼原稿を書いています。 連絡先 [email protected]

槙野 さやかさんが

最近答えた質問

01月07日

槙野さん、明けましておめでとうございます。 今年の冬は普段より暖かく、身動きが取れぬほど寒さが怖く痛い日もなく助かっています。 年末年始バーに駆け込みでもう一杯頂きに来ましたが、閉店でしたらご遠慮なくお見捨ておきください。 私は楽しかったこと・うれしかったことを共有することに抵抗を覚えますが、それを辞めたい旨になります。 大きな喜びや大きな体験をすればするほど、その後の周囲との人付き合いで心身がこわばり、それにまつわる発言が怖くなり、黙ってしまいます。例えば昨年、西部アメリカ旅行に出かけ、いろんなものを見て、人とのかかわりも体験したのに、それを周囲の方に伝えるのが億劫で、気が引けて、実際に体調が悪くなるくらい嫌な気持ちでした。これは一例で、実はこれまでの人生ずっとそうだった気がします。 昔自分が楽しんでいるところを見せると、引き換えに罪悪感を抱かなくてはならないと学んだのかもしれません。それが三十路超えても継続しているのかもしれません。 うまく伝えられないのが嫌だったり、自分の大切な体験を、私自身がチープな言語化して話題のおつまみに切り下げるのが嫌なのかもしれません。行った自分が、行ってない相手に体験を話すことが、自慢話をしているような・マウント取りをしているかのような居心地の悪さを感じるのかもしれません。私がうれしく楽しい話をすることが、必ずしも相手の気を悪くしないとは限らないと感じるからかもしれません。 わたしはこのままでは、人生の課題を成し遂げても、大きな喜びを得ても、誰ともシェアをできません。実際心理的関わりが苦手なので、シェアできなくて元々なのですが、どうもこのままだと私は体調を崩すので、仕切り直したいです。 私はまだ若く、すぐ興奮するたちなのです。本当は喜怒哀楽が激しいのに、それを比喩ではなく死ぬ気で抑えているせいで、脳みそが常にオーバーヒート気味でぼーっとしています。その私の(抑える)性質のおかげで得たものもあるでしょうが、この性質で得られたものに大した価値を感じられなくなってしまいました。完全に倒錯しています。 なんとなく、槙野さんならこんな心理状態を一切合切扱ったことがありません、ということはないのではないかと思い、書かせていただきました。勝手にぶちまけてしまってすみません。 最後に余談として、楽しかった話をシェアします。アメリカ西部の切りっぱなし大地は規格外で、多分我々が今後どんなに時間を掛けたとしても不変な存在です。大きなものが見たくなったら真っ先にお勧めします。野生動物も平然とその辺にいます、グランドキャニオンの崖っぷちリスは私の脳内でお気に入りシーンとなっています。対照的に消費主義のラスベガス(西部巡りの基点になることが多い)のホテルの窓から見えた球体看板がかわいく一晩中癒しとなったこと、バスドライバーと仲良くしてもらい一緒に歌ったこと・そしてその心のつながりを私がうまく扱えなかったこと、そんな疲労困憊でベガスをふらついたら案の定スられて合わせ技で落ち込んだこと、でも結果助けようとしてくれる他人がいたことなど。 これ書いてて気づきましたが、いろんな体験をすることを、自身のキャパオーバーだと一蹴することはできないです。

01月07日

槙野さんこんばんは。 休日は何をして過ごされますか。頻繁に外出されたりするのでしょうか。

01月06日

槙野さんこんにちは。うちでは年越しにそばが出て、お正月一応おせちを買ってお雑煮を作りますが、あまり重視されていないです。それより大事なのは、12月に皆が新しい服を買って年末年始に自慢しあうことです。子供の時は母に連れられて買ってもらうのが楽しみでした。祖父母は必ず髪も切っていました。私もできるだけ美容院に行きます。槙野さんはそういう新年の儀式は何かありますか?