登場人物は堀元見さん、落合陽一さん、こうちゃん(元quizknockメンバー)です。自分は落合陽一さんも堀元さんも大ファンですが、やや堀元さん寄りの意見として書きます。
炎上元は堀元さんがnoteの有料記事で、こうちゃんという人のコンテンツがおもしろくないと書き下ろしたのがきっかけです。
https://note.com/kenhori2/n/nc80fbabe43b8?sub_rt=share_pw
(この堀元という人は、人の悪口を書くという程でインターネットで生きる変な人を面白おかしく書いたり『教養悪口本』という本も出されており、知的な悪ふざけというスタンスで執筆活動もされています。
このほかにも言語学の面白さを伝えるゆる言語学ラジオや本を紹介する積読チャンネルなど多方面に活躍されているようです。)
その有料記事がこうちゃん本人の目にとまり、Xで炎上したようです。
https://x.com/Miracle_Fusion/status/1826565101849378952
皆が堀元氏を批判する中で落合氏が登場します。落合氏は堀元氏を「人の悪口を有料で販売するような反社会的な輩」としてnoteのアカウントにリプライする形で攻撃し始めます。
https://x.com/ochyai/status/1828094219845546202?s=46
ちなみに落合氏は過去にweakly ochiaiというNewsPicksの番組を堀元さんに「落合陽一という天才に誰もついていけないが、分からないと言えない」構図を茶化してコンテンツ化された経緯があります。
https://ken-horimoto.com/20181228115315/
落合氏はここからヒートアップして、堀元氏を対話のできない相手と認定したようで、彼の仕事仲間やコメントを入れた人を手当たり次第に攻撃し始めます。
https://x.com/ochyai/status/1828712922714894735?s=46
https://x.com/ochyai/status/1828737066613792965?s=46
落合氏はいわゆる有名税で酷く悩んできた経緯もあったようで、一般的な方法では解決できず、後味悪くて自分の地位をさげてでも徹底的にやるのが良いと判断されたようです。
https://x.com/ochyai/status/1828765461305246128?s=46
その後、堀元氏が抗議の文を出して、落合氏が手打ちにしましょうと和解しました。
堀元氏の抗議文
https://note.com/kenhori2/n/n314a26de7a7e?sub_rt=share_pw
落合氏の返事
https://x.com/ochyai/status/1828822575482597548?s=46
長くなりましたが、自分もSNSを発信する身としてりおぽんさんの知見をいただきたく思います。よろしくお願いします。
わざわざ丁寧にまとめていただいてありがとうございます😊。おかげで一連の流れが把握出来ました。
まず落合陽一さんと堀元見さんのやり取りについてですが、この種の論争(?)というか口論は昔からそう珍しい話ではありません。一方が「アイツは◯◯だ」と茶化す。それを止せばいいのに相手にご注進に及ぶ。そうやって始まった口論に双方応援団が付いて泥沼化する。
その結果、僕は高名な文芸評論家と作家が銀座のクラブで取っ組み合いをしているのを見たことがありますし、有名な皮肉屋のミステリー作家が新宿のゴールデン街で皮肉を言われた同業者に見つかり、殴られて割れたメガネに目の周りを腫らしてスゴスゴ退散していく姿も見たことがあります。(まあ僕もゴールデン街で女性客にしつこく絡んでいた中年の有名作家を、店の外に引きずり出して、殴り合いのケンカをした経験があるんですが🤣)。
しかしこの手の批判に起因する揉め事やケンカは、かつては銀座のクラブであるとかゴールデン街の飲み屋といった限定したところで行われて、話題になるのは編集者など業界「内部」にとどまっていました。せいぜい岡留安則さんの情報網に引っ掛かって、「噂の真相」という雑誌に取り上げられるぐらい。政治家や官僚のスキャンダルを報じる「週刊文春」「週刊新潮」や写真週刊誌も、出版社にとって執筆者である作家や評論家の揉め事やケンカ、醜聞は取り上げないのがルールです。
つまりこういった話はすべて、一般の方には分からない場所と形で行われて来たんです。「ツイッター」という衆人環視の場所で、この手の揉め事やケンカが行われるようになったんだなぁ、という思いを僕はまず想いを深くしました。
次いで思ったのは「相変わらず日本人は論争が下手だなぁ」ということです。日本では「論争」というと「全否定」になる。「全否定」となれば、相手が退場するまで闘わなければならなくなる。
古い話ですが、1950年代に有名な「吉本隆明-花田清輝論争」というのがあります。吉本隆明さんも花田清輝さんも戦後の日本を代表する知性ですが、僕が知る範囲でこの論争も、左翼の路線問題に絡んださほどレベルの高いものではなく、非難とレッテルの張り合いになります。吉本隆明さんが最後、激しく誹謗中傷に近い非難を行い、沈黙策を取った花田清輝さんが「敗者」として思想界から逼塞していきました。当時の資料を追いかけた僕は、「偉大な知性が2人してくだらないことをやったもんだ」と思ったものです。
海外の論争でも「全否定」でお互いを潰し合う論争やケンカがないとは言いません。しかし「皮肉が効いた批評」は通常、例え毒を含んだものであっても、相手を全否定することはしません。少しのユーモアとあたたかみがある場合が多いです。また言われた方も言った方以上の皮肉を考えて相手に返します。
この時に「熱くなった方が負け」なので、少なくとも冷静さを装おってやり取りを続けます。騎士道精神に反するような、女性を巻き込んでバカにするようなネタを使えば非難されて負けです。事実無根の非難をすれば訴訟になって負けですし、誹謗中傷を始めれば周囲から「下品」と判定とされて負けです。
こうして「皮肉を効かせたやり取り」が「一定のルール」の元で続けられるわけです。
この差は思想だの言論なんかを云々する層が、少なくとも大学教育、通常は幼少期からディベート術やさまざまな「議論の仕方」を学んで、「これは生き死にを賭けて争うものではなく、知的なゲームである」と理解してやっていることが大きいと思います。嫌味な記者になんか言われても、日本人の政治家のようにムキになって反論したり、ましてや出禁処分にしようとしたりせず、例えば米国の大統領を始め米国の要人や企業経営者は、キツいジョークを言い返したりして、言った相手を鼻白ませるでしょう。
まあ米大統領選の討論会は「テレビを見ている視聴者、つまり一般大衆が勝敗の判定者」なので、醜い誹謗中傷戦になりがちですが😅。あれはもともと生き死にを賭けて争うものでもありますし。
さて問題の「落合陽一-堀元見論争」ですが、一時期双方が熱くなっているところは見受けられますし、使っている言葉は過激で幼稚だったところもありました。いかにも日本の知識人だなぁと思いました。興味を持ってお2人のこれまでの経歴をWikiで調べてみたんですが、堀元さんはともかく、落合陽一さんって意外なことに海外に留学したりして揉まれて来た経験をお持ちではないんですね。それが「主張の仕方が稚拙」だった一因なのかなぁと思いました。
ピュアな日本育ちの学者や企業人が海外に行って、ちょっと揶揄われて、それを「恥をかいた」「誹謗中傷を受けた」と思い込んで、黙りこくって、帰国後になって激しく日本語で相手の知らないところでやり返し始めるのは良くある話です。
でも、それでも最後の最後にはお互いが「手打ち」出来るのは、さすがにお互い知識人というかアホではないです。
まあ問題があるとすれば、「判定者」だったでしょうね。ツイッターには知的レベルが低い有象無象が何を言っても許される場ですから、この時とばかりに稚拙な自論を展開していました。論理も論拠も碌にないレベルで。
ツイッターはどうしても「一般大衆によるリンチ」になりがちです。彼らには失うものもありませんし、責任を取ることもありません。何かあれば「こんな酷い仕打ちを受けた」とポスト、それにわけが分からない連中が付和雷同して炎上させる。きっかけはそれみたいだったですね。
今回の一件はこの「議論の舞台」が悪かったなぁと僕は思いました。ツイッターはやっぱり思想だとか言論を戦わせるには不向きな場所だったということでしょう。
お題の「皮肉の効いた批評と誹謗中傷の境界線」は、受けた人がどう受け取るか次第」の部分が大きいです。ファクトに基づかないとか議論のテーマではない相手の人格の非難を始めるのは論外ですが。基本的に「内弁慶な方ほど、誹謗中傷に感じる領域が広く」なります。
もう最後の最後の僕の感想は、落合陽一さん、せっかくの才能なんだから、せめて数年は海外に留学して研究をして来て、精神的に揉まれて来た方がいいんじゃないかなぁということでした。