イジメで不登校になることは「逃げ」であり「負け」だと思いますか?
中学時代イジメを受けていましたが「学校に行きたくない」と言うと「それは負けたことになるから逃げてはダメ」と怒られ、嫌々ながらもなんとか不登校にならずに学校に行っていました。
ただそれが原因で精神的な病に罹ってしまい何年も治っていませんのでそれが正解だったのか今もわかりません。
不登校になっていては学べなかった勉強や経験もあるとは思いますし、怒る親の気持ちもわからなくはないです。
ただ、不登校になっていれば精神病は発症しなかった気もしますし、もっと違う人生が待っていた気もします。
徳田さんとしてはこの件に関してどのような意見をお持ちですか?

徳田神也さん
あなたは「怒る親の気持ちもわからなくはないです。」とおっしゃっているので、それでじゅうぶんだと思います。
正解には、それぞれ「学校としての正解」「先生としての正解」「親としての正解」があるように見えますが、実は全てに「の、ようなもの」がくっつきます。
そしてそれとはまったく別に「あなたにとっての正解」があります。
もちろん、それにも「の、ようなもの」がくっつきます。
正解なんて、最初からないんです。
だってあなたはあなたでしかないし別人にはなれませんから。
いくら考えても「正解だったかどうか」は分かりません。
あなたには分からない、ではなくて、誰にも分かりません。
不登校が苦しみの原因なら、その犯人はイジメでしょう。
イジメが原因なら、犯人はそれがあった中学校の存在でしょう。
中学校が原因なら、犯人その地域であなたを産んだ親でしょう。
いつまで、言い続けましょうか。
イジメは許せないけれど、あなたは苦しみながらも生きている。
いつか何か、新たなステージが開けないかと希望を抱きつつ生きている。
「何かいろんな人生のレールがあって、そこに乗っかれなかったから自分はダメだ」
という考え方は、間違ってるんです。
これからの人生の方が長いですから、「さぁ、どうやってやろうか?」という企みを、増やしていくことが大事です。
もちろん、復讐も忘れないようにしましょう。
千載一遇の機会が目の前に現れたら、イジメた連中にはきっちり、オトシマエをつけましょう。