『不安の概念』におけるキルケゴールの男女論(性の問題を含む)って、哲学・思想としてどのように受け取って読めばよいのでしょうか。
「不安」や「自由」や「可能性」などについては哲学的な議論だと思えますが、上記の議論に関しては、宗教的前提における彼の独断論のように感じてしまうのです。
まあ「原罪(相続する罪)という教義学的問題についての単純な心理学的考察」って副題だしそうなんでしょうな。トライしたけどよくわからんかった。日本語で読める文献はあんまりないと思う。あったら教えて。
https://yonosuke.net/eguchi/2017/07/06/6725/