真面目な話になったのでこちらも真面目に返します。
日本やその他先進国の社会では名門大学に入って卒業することが、能力の証明、努力の証明、人間的価値の証明のように扱われがちです。ですから、JTCの採用基準を大卒ではなく高卒にしたら高校のネームバリューがそのまま学歴として振る舞うようになるでしょうし、それをJTCと非JTC、高IQと低IQに変えても結局ジェネリック学歴社会として振る舞うだけだと思います。つまり競争社会というのは根強く社会構造に埋め込まれているのではないでしょうか。
つまり、競争社会である限り、それが勉強でも、筋トレでも、暗記でも、性格でも、話術でも、IQテストでも、能力が測られる限りは、その突破のためのノウハウが生み出され、塾が作られ、そこに資金が投下されるという構造は変わらないということです。そして就職、恋愛、社会的地位、さらには幸福の実現に至るまで全てがこの構造に深くリンクしているのです。
そうなると、社会構造が、運良く勝者になれた人に「自分の成功は自分の実力だけの結果だ」と思わせ、運が悪くて敗者になった人に「失敗はの責任だ」と感じさせるわけです。結果として、勝者が傲慢になりやすくなり、敗者が屈辱や怨念を抱きやすくなる。その結果、社会の分断と屈辱が深まり、屈辱や怨念を感じた敗者はどんどん屈折していくのです。人は屈折すると、軽視された経験を社会への恨みとして持つようになります。そして防衛機制に走るようになります。例えば、子供には同じ思いをさせないために文化資本を持たせたい、子供に同じ思いをさせないために産まないというような行動に出るわけです。
極端な例ですが、アフリカのように全員が貧しく、全員の教育水準が低く、結婚圧力が激しく、どれだけ豊かな人でも暴力によってひっくり返されるような無常な世の中ならば、子供を持ちやすい環境であると言えると思います。何故ならそこには勝者と敗者を曖昧にする構造があるからです。そして先進国においてはそんな世の中にするわけにはいかないので、政治は現状のまま放置するのではないかと思います。
ですから、コストやリソースというよりも、競争社会の勝者と敗者の構造が、結婚の難しさ、子供を持つ事の忌避、文化資本競争の再生産などを産み、更に下の世代に悪影響を与えるスパイラルに陥っているのではないでしょうか?ただ子供を持ちやすい、持ちにくいという次元に留まらず、社会自体の変革が必要だと思います。
長文失礼しました

まおさん
ご指摘の通りなんだけど、かといって競争社会は資本主義の原動力なので止める訳には行かない、というより止められない
中国の塾規制がどうなったのかは知ってると思うし
なので、競争と格差の再生産はある程度あるものとして、出口までの距離を短くしてコストをとりあえず抑えた方がいいのではないかというのが僕の主張です
高校までで競争が終わるのであればトータルコストはとりあえずマシになると思いますし
さらに急進的にやるなら国がそういった競争に規制をかけるとかでしょうか?
ご存知でしょうがドイツの学制はもっと格差に固着していますし、そういった方向で国がある程度職業選択について制限をしていくのでもいいかもしれません
それとブルーカラーとホワイトカラー、上流工程と下流工程の給与傾斜をもっとゆるやかにするとかでしょうか
早い話中卒介護職でも家庭をもてて毎年海外旅行に行けるような生活ができるならそちらを選ぶ人は少なくないと思います
僕だって奨学金n百万背負わなくても豊かな暮らしができるなら高卒で働いてましたよ