はじめまして。私はひょんなことをきっかけに手話で話す聴こえない人と交流する機会があり、手話の学習を始めた者です。手話を面白いもっと話せるようになりたいと思うと同時に、交流が増えるにつれて社会の構造の問題、聴者とろう者の文化や捉え方の違いを実感するようになりました。自分自身そうだったのですが周囲にはあまりにも聴こえない人の事を知らない人が多く、実は聴こえない人はこんな事が困るんだ!とか手話って実はこうで…と説明したくなります。でも、自分が聴こえない人の気持ちを代弁していいのか?当事者でもない自分が語っていいのか?と心の中で迷ってしまいます。聴こえない人の主張と聴こえる人の主張、どちらも知っていることで板挟みになり苦しくなることがあります。方山さんはTwitterで聴こえない又は聴こえにくい方の情報発信をしたり、仕事上説明する機会があると思うのですが、このような気持ちになったことはありますか?長々とすみません。

方角方山 / 方山れいこさん
めっちゃわかります!私もエキマトペが話題になった時は「聴者がやっていいんだろうか、今やってることって結局聴者のエゴなのかな〜」とかなり悩みました。
ですが最近は、聴者だからこそできることがあるのではないかなと思っています。私は30年間ほとんど障害のある方と関わることがなかったのですが、世の中そういう人って多いと思います。実際、事業の説明をしてもピンと来てもらえないことも多々あります。けれど知らなかった過去があるからこそ、知らない人にも寄り添ってもっと噛み砕いて伝えることができるのではと信じています。
聞こえない・聞こえづらい人の気持ちを100%理解することは、私たちは難しいと思います。けど寄り添うことはできると思うんです。寄り添いながら、聞こえる人の世界を理解しつつ解決を促すことができる。これはある種強みにもなるのかなと思います。適度な「間」の存在になることが大事かもしれませんね。