見守っていましたが、報道機関からの公式な発表は確認できず、やはり当該ツイートの内容を拡散することを正当化するのは難しいと思います。虚偽と断定するものではありませんし、今後これを上回る深刻な事件が起こり得る可能性については同じ認識を持っています。
ただ、へずま氏をはじめとする排外主義的な発信者が、検証のしようがない出来事を拡散し、あたかも既成事実化しようとしていることはご存知の通りだと思います。だからこそ、これを否定していくためには、反差別を掲げる側がより一層情報を精査し、発信の言葉を慎重に選ぶことが何より重要だと考えます。
差別的な言動をする人々は確かに数として多いですが、実際に最も多いのは無関心な人々です。その層に向けて客観的な正しさを積み重ねて示し続けることこそ、社会を変える力になるのだと思います。
一方で、SNS上で罵声の応酬を繰り広げる「反差別」は、人々の共感を失わせるだけでなく、時に怒りの矛先がマイノリティへと向かう危険を伴います。そうならないためにも、冷静さを保ちながら言葉を届ける姿勢が不可欠だと考えます。失礼ともとれるメッセージにも丁寧にお返事頂き有難うございました。

Euphonica 横浜仲町台の洋品店さん
拡散が拙速だったのは否めませんが、加害者と被害者がともに未成年で、死者も出ていないため、報道はだいぶ慎重になっているように思います(もみ消されたとかとは考えていません)。
ご質問者さまの仰ることはごもっともであり、道徳上間違っている点はありませんが、それを尊重したうえで、個人の価値観として、私はときに道徳や礼節に反する形でも戦うべきときは戦う(敢えて荒い表現を用いるなら「ぶちのめす」)ことを是とする立場ではあります。もちろんそこにはグラデーションと逸脱してはならない一線があるのは大前提で。
人と人が節度と筋道だったロジックで理解しあえるならそれがもちろん一番理想的です。
しかし残念ながらそれが通じないケースは往々にしてあり、またそこまでこじれなくとも何に価値の重きを置くかが人によるため(「倫理」と「道徳」が衝突することもありますよね)、たとえば反差別という同じ目的であったとしても永遠に平行線のままわかりあえないことは起こります。
言を俟たず、ご質問者さまが仰るように冷静さを保ち言葉を届ける不断の努力は絶対に必要です。
私も安易に汚い言葉で罵るのは好みませんし、その言葉のチョイスで説得力を失うことが多いのはよく理解しているつもりです。
しかしそのうえで、自分にも他者にも、あまりにシビアに無謬の善を求めることはあまり健康的でないとも思いますし、その基準を厳格化してしまうと、起こり得る誤謬とほんとうに一線を超えた状況との区別がつきにくくなる危険性を孕むとも考えています。