07月14日

質問者さん

えびさん、不安との向き合い方について教えてください。 今、私は妊娠中です。 過去に死産の経験があり、毎日赤ちゃんが生きてるかどうか不安で眠りも浅く、メンタルがどんどんまいってきています。 自分にはどうしようもできないことでもあると思うのですが、臍帯が巻き付いてすぐ見つけられたら、あの子も助かっていたのかもしれないという後悔があるので、変化に敏感になってしまっています。 まだ起こっていないことに対する不安とうまく付き合っていくには、どうしたらいいでしょうか?

07月14日

えび

えびさん

可能性が0ではないものに対して不安になって当たり前という大前提だと思う 誰だって 今日が最後の日の可能性を持つ 朝に元気に挨拶して見送ったのに なんていうのが起きている人もいる ただ、それが確率としては少ないだけ でも誰にでも起きる可能性がある なので、それは馬鹿にはできないし 「起きもしないことでナンセンス」と思うことも馬鹿にもできない どちらも正解 ただ、私は 『悩むのはわかるけど起きてないことに不安になってる時間は無駄』って人だから 論点が違ってたりする ①不安になることが良いのが悪いのか?は 価値観によるので 他人が決めることじゃない ②これが無駄かどうかで言えば 解決策を模索する以外は無駄って私は言い切るかなぁ ③無駄なのは正解だとしても だからって簡単にやめれるようになるとかいう単純な話でもない 病気なら定期的な検診だし 地震なら防災グッズを用意するか 地震のない国に引っ越せばいい(無茶苦茶かどうかではなくて適切な解決策とは?って話) 医学的なことはわからんので おかしいと思ったらすぐ病院に連絡するとか 先生と話して、どれに不安を感じていいのか どんなことだったら無駄な不安なのか話してみるとか 終わったことに何も思わない人もいるし(私がそう。流産は実は何度も経験してるのだけどびっくりするほど何も思わないし。実験と思ってる気持ちが強すぎるので思い入れが妊活の人とそもそも違いすぎる…ってのもあるかもしれん) 普通は悩むのが当たり前だと思う それにホルモンのバランス崩れるし不安がちになるのも仕方ない 具体的な方法は 不安に思う自分とそれを認識する自分というやり方が使えるのではないかな(メタ認知とかいう) ・不安を書き出す ・私はこう思ってるのだなと思う 単純にこれだけ 仏教的な話で言えば 「こう思ってるのだなぁ」と認識している自分は肉体から離れた場所にいて、その存在は一切傷がつくことがないという六根清浄という考え方 簡単に言えば 「どこか他人事に感じてる自分もどっかにおる」ので あんまりにも不安なら俯瞰できる自分に見てもらうのもあり あんまりにも辛いなら妊活専門のカウンセラーに相談するのもアリ(友人がやってるので紹介もできるし産婦人科でお抱えのカウンセラーがいたりするよ) 不安になるのは仕方ない でも不安に支配されるのはなんか違うよねって違いがわかってくると少し楽になれるんじゃないかな

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07月14日

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えびさん さっそくありがとうございます。 今日仕事休みだったおかげで、こうやってすぐ見れて、わたしゃ運がいい!と思えました。 さっそく、書き出して自分の不安を客観的に確認してみます。 なる=支配されてる、と完全にくっついていたので、目から鱗でした。ポロポロ。 いつも本当にありがとうございます!

えびさんが

最近答えた質問

2分前

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鉱物好きになってきております🤭良ければ私物のオプティカルカルサイト見せて欲しいです!

7分前

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わかりました、 引き続きどうぞよろしくお願いしますー

2時間前

いつも詳しく有難うございます^_^ まさに考えるキッカケでした。 夫が単身赴任になって、離れる時間が増えて、家族というか空気みたいな存在感になり過ぎていた事に気づきました。離れて暮らす事への不安はないのですが、逆になさ過ぎる有難い人である事にあぐらをかいてる自分への戒めというか、つい忘れがちになる感謝に気付けるようにと思いましてお聞きしました。 天然石は昔から好きで、過去はすがり過ぎてた時期もありましたし、今考えると売り手に乗せられてたなーと思う事もあるんですが…(^_^;) 色々な経験と、えびさんに出会って『石は石なんだよ』という言葉に目から鱗状態になり、心理学など色んな要素からのお話を聞き、学ばせてもらう事で、楽しんで石を迎えたり、愛でる事が出来るようになりました。 意味を求めたりする事にまだ依存心は残っていると思いますが、楽しめる、石をみて『頑張ろう!』と動く原動力になっている事は有難いなと思っています。