すみません、紛らわしい文で(-_-;)「共感」になぜカギカッコを付けたかよく覚えていないのですが、もう共感しかない!という強調を表したかったのだと思います。「教員養成系」という点は、高校教員がただ単にどこでもいいから「大学」に移るということだと働き甲斐が増すということには(必ずしも)ならない(中高生よりも学力が低い学生を集めた大学もあるので)のですが、「教員養成系」ならば、高校から移って楽しいしやりがいもあるでしょう、という意味のです。そして先生がおっしゃるとおり、「授業の達人」的な大学教員ポストが教員養成課程以外にもしばしばあるとは思えない(あ、これは寺沢さんが言っていたのかな)ので、「英語で戦う日本人の育成」系の教授がおっしゃっていることはミスリードで、高校の先生方があたかも大学には簡単に移れて(しかもそれが「キャリアアップ」で)幸せになれますよみたいな印象を与えるのはいかがなものか、と思った次第です。長々と失礼しました。
Tamさん
補足ありがとうございます。教員養成系であればやりがいもあるだろうけど、の話について少し思ったことを。
「中高生よりも学力が低い学生を集めた大学もあるので」のところ、中高から大学に移ろうと思うくらいだから、「よりレベルの高い」学習者を教えたいと思う人が多そうだけれども、その道を選択しても、それが叶わなくて(実際には中高生より学力が低い学生を教えることになって)ギャップを感じてしまう、という話なのかもしれません。しかしながら、学力が低い学生に教えるのはやりがいがない、とも解釈できてしまうような気がしました。一般論としてはそういう認識を持っている人がいるだろうなということは理解します。また、もしかすると教員も学力レベルの高い学校に勤めている人の方がキャリアとして「上」という認識を持っている人もいても不思議じゃないなと思います。そういう感覚と、大元の「キャリアアップ」の話って割と地続きかもしれないなと思いました。
そういう意識、隠そうとしても教える時に生徒・学生に見透かされないだろうか、って思っちゃいます。そして、そういう感覚で教員やって大丈夫なんだろうか?と(質問者の方がそういう人だと言ってるわけではありませんのでそこはご理解ください)。教員の仕事って、そういう一面的な部分でランク付けされて色んな悩みを抱えてしまう学習者を解放してあげる、っていうのもあると思うんですよね。
新しい視点を与えてくださってありがとうございました。お伝えし忘れていましたが、ブログもお読みいただきありがとうございました。