自治体で標準化対応をしています。以前Xで「後期高齢者医療制度は体感、システム標準化の100倍辛かった」というポストを拝見しました。高橋様はどのような関与でどのような辛い仕事だったのか教えてください。自身の標準化の仕事の参考にさせていただきたく存じます。
これは当時の時代背景から説明する必要があります。残念ながらネット上においても当時の状況を正確に記した記事は非常に少なくなってしまっています。
高齢者医療制度の開始は高度成長期の昭和48年であり、当時は70歳以上は医療費無料でした。
それにより高齢者の受診率が増加し、また少子高齢化により財源の問題が課題となり、何度か制度改正を繰り返されましたが、解消には至らず抜本的な見直しが必要とされていました。
それが後期高齢者医療制度です。
制度の開始自体は平成20年4月でしたが、準備事務は平成18年ごろから開始されており、自分も担当者として従事していました。
それとは別の動きとして、平成19年の夏頃から「年金記録問題」あるいは「消えた年金問題」というのが大きな社会問題になっていました。
ざっくり言うと、当時はマイナンバーのようなものがなく、加入制度が変わる、例えば無職や
自営業(国民年金)から会社員(厚生年金)になると管理するための番号が変わってしまって、名寄せが出来なくなってしまい、そうしたデータが5000万件も発見されました。
年金を払っているのに貰えない可能性が出てくるという事で連日ニュースでも話題となり、当時の政権支持率にも影響を及ぼしました。
蛇足ですが、これがマイナンバー制度が導入された最も大きな理由でもあります。
この「年金記録問題」は、日本年金機構の前身である社会保険庁の労働環境と常にセットで語られていました。
当時の社会保険庁は労働組合が非常に強く、誤解を恐れずに言えば腐敗状態でした。
例えば、労働組合専従なのに正規の給与を受け取っているとか、覚書を基にしたサボタージュ(45分働いたら必ず15分休憩、ノルマは課さない、等)とか、公費で高価なマッサージチェアを購入していたとかです。
これらの実態は平成17年ごろから明らかになり、平成19年に年金記録問題が明るみになると、社会保険庁とその職員は社会の害悪として連日マスコミからの批判にさらされるようになります。
とはいえ、連日同じような報道や批判では視聴者に飽きられてしまいます。
悪いことにマスコミは新しい高齢者の医療制度の保険料納付が年金天引きであることに目をつけました。
貴重なお年寄りの年金が社会保険庁に踏みにじられただけでなく、今度は後期高齢者医療制度なるものが高齢者から年金を取り上げようとしている。こいつらも社会保険庁の仲間だ。悪者だ。徹底的にやっつけろ。
当時のマスコミはそういう世論を形成するように仕向けて行きました。
これらの批判が特に強くなったのは年が明けて平成20年の1月ごろからだと記憶しています。
正に制度準備やシステム開発のプロジェクトの佳境の時期です。
特に影響力が大きかったのが、当時視聴率が高かった朝のワイドショー「朝ズバッ!」であり、総合司会の(故)みのもんたが如何に後期高齢者医療制度が高齢者の人権を無視した悪い制度かということを毎日熱弁していました。
曰く、
「後期高齢者医療制度はお年寄りから年金を取り上げる酷い制度だ」とか、
「後期高齢者医療制度になると好きな医者に受診できなくなる」とか、
「後期高齢者と言う呼称自体が高齢者をバカにしている早く死ねと言っているようなものだ」とか、
およそ真実とは言い難い煽り文句を毎日言い続けました。
そして、他のニュース番組もそれに同調するような動きをしました。
その朝のワイドショー番組を見た高齢者は怒りと共に最寄りの役所に苦情や陳情の電話をかけます。そして言葉は悪いですが高齢者には十分な時間があり、2時間でも3時間でも苦情を言い続けることは珍しくありませんでした。
当時の状況ですが、朝8:30ぐらいから一斉に全ての電話が鳴ります。全区役所です。区役所の保険担当の職員は電話対応に追われ、仕事になりません。
自分は当時本庁で後期高齢者医療のシステム開発に従事していましたが、本庁も同じです。
区役所に電話しても話し中で通じないので、本庁にかけてくるのです。本庁も全ての電話が鳴ってその対応に追われ、仕事になりません。
電話を取るとほぼ間違いなく高齢者からの苦情です。「朝の番組で高齢者から年金を取り上げると言っていた、どうしてそんな酷いことをするのか納得いくまで説明しろ」と言った内容ばかりです。中には電話を取るなり「この人殺し!恥を知れ!」といった罵声を浴びせられることも珍しくありませんでした。
この状態が夜の6時ごろまで続きます。当然昼休み中も電話が鳴りやむことはありません。
つまり夜の6時ごろから本来の業務にやっと着手できるということです。
ところが、新しい制度導入ということで、本来業務に着手し始めると、当然疑問点や確認が必要な事項が出てきます。
自分は本庁担当者で区役所の担当者に業務を指示する側です。ですので、夜6時ごろから高齢者の苦情電話はなりを潜めますが、代わりに区役所担当者からの問い合わせ電話が殺到します。それが夜の10時ぐらいまで続きます。
ですので自分は夜の10時ぐらいからようやく本来業務に着手できる状態でした。
再度言いますが、システム開発の佳境の時期です。とても時間は足りません。
業務終了時刻が午前2時ぐらいならタクシーに乗って帰宅しましたが、午前4時を過ぎると帰って寝る時間も無いので、そのまま職場で椅子を並べて寝ました。
平成20年3月と4月は家に帰らない日がずっと続きました。平成20年の1月から9月ぐらいまで毎月100時間を超える残業、とりわけ3月と4月は200時間近い状況でした。
過労死ラインはとっくに超え、保健師に何度も呼び出されましたが、そんな面談が状況の解決につながるはずもなく、今となっては申し訳ないのですが八つ当たりしたこともあります。
同じプロジェクトの同僚は何人も壊れました。昼間は「お前が死ね人でなし!」とか罵声を浴びせ続けられ、業務は深夜まで続きます。まともな精神ではやっていられません。
自分は生き残りましたが、健康を大きく損なうことになりました。
恐らく全国の自治体職員も同様の状況で、心を病んだり中には自殺した職員もいるのではないかと思います。
今思えばあれはなんだったのでしょう。朝のワイドショーで言っていたことは何一つ現実にはなっておらず、あんなに酷いことが毎日繰り返されていたのに、当時の惨劇は人々の記憶から忘れ去られようとしています。
悪い夢でも見ていたかのようです。
マイナンバー制度やシステム標準化も確かに大変でしたが、後期高齢者医療制度導入の当時の理不尽さに比べれば遥かにマシだと思います。
長くなりましたが、以上が100倍と表現した理由になります。
以下参考リンクです
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2009pdf/20090113076.pdf
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E9%87%91%E8%A8%98%E9%8C%B2%E5%95%8F%E9%A1%8C
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%8A%B4%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BF%9D%E9%99%BA%E9%96%A2%E4%BF%82%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88%E9%80%A3%E5%90%88