ごきげんよう、お嬢さま。己の感性を育てるにはどうしたらいいでしょうか。育つものかしら。
例えるなら、芭蕉に教えてもらうまで、古池に蛙がとびこむことに何の感慨も湧かないことがかなしいのです。切り取って表現すべき瞬間として美を見出した芭蕉と自分は何かが大きく違う気がします。名句を読めずとも、古池に飛びこむ蛙が描く放物線、水音と波紋、空気の静けさに気がつく人間になりたいのです。
夕焼けや新緑、名画などを見たりすれば、人並みに「きれいね」とは思うのですが、なんとなく「よーし、美しいと思って味わうぞ!」と無理をしている気がします。ふと美しさを発見したり、撃たれるようにとらわれたり、心を動かすことがありません。このまま無感動な人生を過ごすのかと思うとやりきれず、お知恵を貸してください…。
東京藝術大学お嬢様部OGOBさん
そのことで悩める時点で感性は充分に育まれていると私は思います。普通そうは考えません。
手っ取り早い方法は師を見つけることです。感性に惚れ込むくらいの圧倒的な存在がいいでしょう。もちろん故人でも構いません。
そしてその師が見てきたものや褒めたものを、見たり読んだり聞いたりしてください。師を見るというよりは師が見てきたものを見るというような感じです。これを続けるだけでいいと思います。
芭蕉が例に出ましたが、芭蕉とて北村季吟という将軍に文学を教えることになるくらいの偉大な文学者に師事しており、彼の影響で膨大な数の古典文学を読み漁って勉強しています。芭蕉は季吟を尊敬して門下になりましたが、季吟が見てきたもの(この場合は古典文学)を見て摂取しているので、まさに上にあげたケースに当てはまります。
芭蕉とて季吟の見てきたものを見て摂取して、磨き上げたものですから、やはり師を持つのは大切だと思います。無から有は生まれません。感性は磨くというより継承するものなのではと思うくらいです。つまり厳密に言えば感性は個人のものではありません。ある集団や体系のものになります。琳派の芸術をイメージすると分かりやすいと思います。
ですから感性を育むには師を設定して、師が見たものを追うことで、ひとつの感性の系譜に自分を投入することが手っ取り早いのではないでしょうか。強固な根を張る軸を作ることを大切にしてください。