01月04日

質問者さん

槙野さん こんばんは、はじめまして。 長い間年末はバタバタする職種でしたが突然カレンダー通りの連休となり戸惑っております。 それはそうと、周りではまったく共感してもらえない、 こどものころからお正月が苦手だった話を聞いていただければ、と思って書いてみることにしました。 親類縁者がいずれも遠くて、いわゆる田舎に帰る、ということはそんなに頻繁ではなかったのですが、 テールランプの赤い帯となった坂の向こうに見える赤い月、 父が運転しながら飲むコーヒーの入ったポットの匂い、 サービスエリアの汚れたトイレの床、 生臭く冷えたものばかりのおせち料理、 距離感が近く声の大きい親類のひとたち… ネガティブな印象ばかりが浮かんできますが、 何よりも嫌だったのはお年玉です。 酒の匂いのするよく知らない大人にぞんざいに手渡される小さな袋も、 なぜかこそこそしながら中身を確認することも、 数日の間によくわからない用途にお金が消えていってしまうことも、 悲しくて仕様がなかったのです。 クリスマスには、時間をかけて考えた欲しいものが、 朝起きたら枕元に置いてあったのに。 去年のものも、ちゃんと残っているのに。 そんなわけで、おとなになってもお正月は苦手なのです。 けれど、すっかり物心のついてしまったこどもたちにきいてみたところ、 お年玉のほうが断然いい、なんならクリスマスもアマギフとかでいい、 と言われてしまいました わが家にサンタクロースが来なくなってしばらく経ちますが、 こどもたちがちょっと喜べるものを考える時間を、私はまだ、 あと少しだけ捨てたくないな、と思ってしまいます。 わがままだとは、わかっているのですが。 今年も、槙野さんの新しい文章を楽しみにしております。 無理のないペースで、末永く更新していただけることを願っております。

01月12日

槙野 さやか

槙野 さやかさん

クリスマスプレゼントはちゃんとしてもらったのにお年玉はいつの間にか消えてしまったのですか。それは悲しい。あんまりお正月好きじゃなくなっちゃってもしかたないです。 私が推測するに、投稿者さんの「遠方の田舎」でのお年玉は、子どものための行事ではなく、「お年玉をあげた」というスタイルのためにポチ袋を渡し、しかし実際のところは大人たちが使用していた、そういうものなのではないでしょうか。 現金だとそういう詐欺みたいなことが可能になってしまう。「貯金しておく」と言われていたが実際には使われていた、などというケースもあるみたいです。 現金の汎用性が、財布と心の両方貧しい大人の悪い心を引きだしてしまうのでしょう。くまちゃんのぬいぐるみをだまし取る動機はないものね。ポケモンカードなら売り払う輩がいるかもしれないけども。 そうやって考えると、投稿者さんのお子さんたちは変な大人に騙されたりせずのびのびと育ったのですね。だって、「現金は取られるかも」などと思わず、ただ好きなものが買えることに注目しているのですから。 サンタクロースが来なくなってしばらく経ったおうちの贈り物は、ときどき「お母さん・お父さんのチョイス、いまいちなんだよな」と言われたりするのですが、大人になれば彼らは、そういうエピソードを、イヤそうにではなく、楽しそうにしますよ。現金もいいものではありますが(子どもの経済的自己決定能力が育つし、買い物の失敗や刹那的な無駄使いも早めにやっておいたほうがいいと私は思っています)、贈り物もしてあげたらいいんじゃないでしょうか。

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槙野 さやか

槙野 さやか

短編ブログ『傘をひらいて、空を』https://t.co/54T5XhoWkA 、感想文と読書会(https://t.co/N3Pva2w9ZX →Radiotalk #小さな鳥たちの読書会)。ときどき商業媒体の依頼原稿を書いています。 連絡先 [email protected]

槙野 さやかさんが

最近答えた質問

01月12日

続き質問

あけましておめでとうございます。年明けにマチアプへ挑みに行くと表明した女です。 無事に美味い蟹(雑炊も)と日本酒とウィスキーを食らい、さあやってやるぞと年明けを迎えたのですが、マチアプ挑戦を表明した友達のひとりから「アプリよりも先に立候補してもいい?」と言われたので早々にステイしています。なんと。 想定いただいた通りわたしは異性愛者女で、立候補した友達は男になります。傷の話は全くしていないのでこの友人であっても自分の出自を話す気重さは変わらずつきまとうし、そもそもそこまで辿り着くパートナーになるかは今後お互いの奮闘次第になるのですが、いま時点でも随分と気安い相手でもあるしこの人に話すのだとすれば少しは口も軽くなるのかしらと不思議な気持ちでいます。 実はほんの少し楽しみでいたんですよ。ぴかぴかの服を着てすました顔した自分かどのように赤の他人に見られるか。でも一旦おあずけのようです。 もし今後マチアプの海に飛び込むことがあったとしても、槙野さんにかけられた言葉を持っていこうと思います。わたしは幻のかんぺきな女ではないし、傷をめくってみせても怯まず話をしてくれるひとは何人もいる。自分だってそうした理解は自分に言い聞かせることもできたけど、「ほんとうのことだよ」と言ってもらってやっと腹の中に落ちていった気がします。人から貰わないと受け取れない言葉というのはありますね。ショートのカクテルをあおるような気持ちがしました。 槙野さんも手術がいよいよとのこと。どうぞ今年一年もお元気でお過ごしください。

01月12日

続き質問

槙野さん、あけましておめでとうございます。 温かいお返事をくださってありがとうございました。心がぬくぬくして元気が出ました。 やけっぱち、つい最近するようになった態度かもしれません。「いろんな人間が存在してていいはずじゃろがい」と思うことが増えました。  話は飛びますが、もともと鬱でダウンした大きな原因が「多方面でいい子をやり続けて限界が来た」からだと思います。 最初は小さい頃に家庭内で必要に駆られていい子をしていました。いい子を無意識でやり続けると、いい子を遂行しきれない自分が許せなくなり、いろんな人間が存在することも許せなくなっていました。 鬱になってからその歪みに気づいて、抵抗として「やけっぱち」をやり始めたのかもしれないです。 「いい子なんかやりたくないわい!」「体面の悪い私だってばーちゃんといとこに会いたいわい!」という感じで。 槙野さんのブログにはたびたび、いい子をやらない人が出てきますね。いい子を期待されても、「都合のいい子」を求められていると気づいて戦う人たち、ものすごく眩しいです。私もそっちに行きたい!と思いました。 私はいい子のおぞましさに気づくのが遅くて、恥ずかしく情けないですが、少しずつでも人生を捻じ曲げていこうと思います。 ひきこもっていることや元気がないことに関して「ほーそうなんか」くらいの反応の人、槙野さんがおっしゃるならわりといるんでしょう。たしかに数人の攻撃的な人や若干引く人ばかりを強く覚えてしまっていました。というか、そもそもオープンにした相手の母数が少なかったです。 じわじわとオープンにして、「ほーそうなんか」派の人たちを見つけようと思います。 それはそうと、元旦に祖母の家に行けました!しかし、いとこ家族は大晦日に風邪をひいてしまい会えませんでした。 会いに行くと決意したこと自体が前進だったし、祖母と叔母にはお互い元気で会えたので、かなりナイスなお正月です。 いとこ家族にはまたの機会に会えたらいいなと思います。 長い話を聞いてくださってありがとうございました。 手術を受けられるとのことで、お身体の疲れが長引きませんように。

01月12日

槙野さん こんばんは、はじめまして。 長い間年末はバタバタする職種でしたが突然カレンダー通りの連休となり戸惑っております。 それはそうと、周りではまったく共感してもらえない、 こどものころからお正月が苦手だった話を聞いていただければ、と思って書いてみることにしました。 親類縁者がいずれも遠くて、いわゆる田舎に帰る、ということはそんなに頻繁ではなかったのですが、 テールランプの赤い帯となった坂の向こうに見える赤い月、 父が運転しながら飲むコーヒーの入ったポットの匂い、 サービスエリアの汚れたトイレの床、 生臭く冷えたものばかりのおせち料理、 距離感が近く声の大きい親類のひとたち… ネガティブな印象ばかりが浮かんできますが、 何よりも嫌だったのはお年玉です。 酒の匂いのするよく知らない大人にぞんざいに手渡される小さな袋も、 なぜかこそこそしながら中身を確認することも、 数日の間によくわからない用途にお金が消えていってしまうことも、 悲しくて仕様がなかったのです。 クリスマスには、時間をかけて考えた欲しいものが、 朝起きたら枕元に置いてあったのに。 去年のものも、ちゃんと残っているのに。 そんなわけで、おとなになってもお正月は苦手なのです。 けれど、すっかり物心のついてしまったこどもたちにきいてみたところ、 お年玉のほうが断然いい、なんならクリスマスもアマギフとかでいい、 と言われてしまいました わが家にサンタクロースが来なくなってしばらく経ちますが、 こどもたちがちょっと喜べるものを考える時間を、私はまだ、 あと少しだけ捨てたくないな、と思ってしまいます。 わがままだとは、わかっているのですが。 今年も、槙野さんの新しい文章を楽しみにしております。 無理のないペースで、末永く更新していただけることを願っております。