こちらの質問回答への続きです

01月06日

質問者さん

槙野さん、あけましておめでとうございます。 温かいお返事をくださってありがとうございました。心がぬくぬくして元気が出ました。 やけっぱち、つい最近するようになった態度かもしれません。「いろんな人間が存在してていいはずじゃろがい」と思うことが増えました。  話は飛びますが、もともと鬱でダウンした大きな原因が「多方面でいい子をやり続けて限界が来た」からだと思います。 最初は小さい頃に家庭内で必要に駆られていい子をしていました。いい子を無意識でやり続けると、いい子を遂行しきれない自分が許せなくなり、いろんな人間が存在することも許せなくなっていました。 鬱になってからその歪みに気づいて、抵抗として「やけっぱち」をやり始めたのかもしれないです。 「いい子なんかやりたくないわい!」「体面の悪い私だってばーちゃんといとこに会いたいわい!」という感じで。 槙野さんのブログにはたびたび、いい子をやらない人が出てきますね。いい子を期待されても、「都合のいい子」を求められていると気づいて戦う人たち、ものすごく眩しいです。私もそっちに行きたい!と思いました。 私はいい子のおぞましさに気づくのが遅くて、恥ずかしく情けないですが、少しずつでも人生を捻じ曲げていこうと思います。 ひきこもっていることや元気がないことに関して「ほーそうなんか」くらいの反応の人、槙野さんがおっしゃるならわりといるんでしょう。たしかに数人の攻撃的な人や若干引く人ばかりを強く覚えてしまっていました。というか、そもそもオープンにした相手の母数が少なかったです。 じわじわとオープンにして、「ほーそうなんか」派の人たちを見つけようと思います。 それはそうと、元旦に祖母の家に行けました!しかし、いとこ家族は大晦日に風邪をひいてしまい会えませんでした。 会いに行くと決意したこと自体が前進だったし、祖母と叔母にはお互い元気で会えたので、かなりナイスなお正月です。 いとこ家族にはまたの機会に会えたらいいなと思います。 長い話を聞いてくださってありがとうございました。 手術を受けられるとのことで、お身体の疲れが長引きませんように。

01月12日

槙野 さやか

槙野 さやかさん

「自分はなぜ大人になっても『いい子』をやりすぎて、『いい子』にとらわれているのだろう」という意味の悔恨を聞くことが何度かありましたが、私はそのたびに「文科省のせいだ」と回答しています。 文科省が予算をくれないから、小学校や中学校が子どもに従順さを求めざるをえない。教員ひとりあたりが見る子どもの数が多すぎ、使用可能なリソースが少なすぎ、子どもが一定の範囲からはみ出すとめちゃくちゃ文句を言われる。そのために学校は生徒に従順さをたたき込む。何なら高校までそんな感じでやっているところも少なくないようです。さらに、家庭教育も同じようなやり方でおこなっているところがあるようです。 そうした環境では、(大人の言うことをいちいち疑わないという意味で)「素直ないい子」は人格形成の初期から「従順」をインストールし、親や先生の言うことを先回りして考えることに注力して育ちます。それが環境に対して適応的であるからです。その場の環境に適応するという意味では「いい子」のほうがずっとかしこい。いちいち文句言うガキは(その場の環境に適応するという意味で)アホです。損しかしない。 それなのに、「いい子」たちは、一定の年齢で急に「自主性」とか「能動性」とか「内発的動機づけ」とか、そういうのを求められる。 かわいそう。文科省が悪い。「素直」自体は別に悪くない。 そう、「いい子」指向それ自体は悪くもなんともないと私は思っています。私のようにすべての秩序とその背後の権力関係に根拠と再検討を求めてやいやい言う人間ばかりだったら、そりゃあめんどくさい世の中になるよ。私みたいな人間は、たぶん生まれつきそういうタイプなので、別にそんなにいいものではないです。悪くもないけど。「そういう係の人」と思ってくださったらいい。 ただ、「いい子」をやっている当人がすごく損をしたり、しんどい気持ちになるのなら、ある程度は「いい子」をやめちゃったほうがいいですよね。投稿者さんはとても疲れてしまったのだから、ある程度「いい子」をやめちゃえばいいと思います。ご自分の心に聞いて、苦しくない範囲の、ちょうどいいところまで。 そのときに「恥ずかしく情けない」などと思う必要はないのではないでしょうか。だって文科省が悪いんだもん。教育と子育ての場にお金がないのが悪いんだ。 それはそうと、元旦におばあさまのおうちに行けたとのこと。よかったー! いとこさんご一家が風邪をひかれたのは残念でしたが、今年はなにしろ風邪やインフルエンザが猛威をふるっていますから、確率的にはやむを得ないところでしょう。おばあさまやおばさまと楽しく過ごせたようで何よりです。 おばあさまのお宅訪問はきっと、今年の素晴らしいできごとの第一弾です。第何弾まであるのかな、楽しみですね。

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槙野 さやか

槙野 さやか

短編ブログ『傘をひらいて、空を』https://t.co/54T5XhoWkA 、感想文と読書会(https://t.co/N3Pva2w9ZX →Radiotalk #小さな鳥たちの読書会)。ときどき商業媒体の依頼原稿を書いています。 連絡先 [email protected]

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12月31日

こんばんは。 昨年のバーで、「大学生のときに鬱になってから意欲と気力が戻らず、長年実家にひきこもっています」と送った者です。お返事くださってとても嬉しかったです。ありがとうございました。 槙野さんのお返事が「ほうそうですか」くらいに良い感じに乾いていたので、槙野さんの目線を借りて落ち着いて現状を眺められた気がします。 私は年金暮らしの両親に養われているけど病院代は必ず出してもらえていて、相談所と病院には数年繋がっていて、祖母になら安心して会うことができて、私からエネルギーを奪う何かに気づいて取り除けば行動範囲が広がるかもしれない。危険な状況だけどわずかに光はありそうだと思いました。 エネルギーを奪うものの中に、「友達と同じように週5で働かねば!今すぐ!」という焦り&三段飛ばし欲求があり、とんでもなく足を引っ張っていました。 それを心理士さんと母に何度も「一旦横に置いて」と言ってもらい、今年の秋からB型作業所に週一で通っています。週一でもぐったりしますし、冬がとても苦手でますますぐったりしています。先は長そうです。 あと、発達障害があるか無いかは微妙なラインでしたが、対人関係で疲れやすすぎるため、診断書を出してもらえて精神障害者手帳を取得できました。 障害年金もダメ元で申請してみました。工賃プラス、もし障害年金が出れば行動が起こしやすくなるかもしれません。 そして、今年は祖母の家に元旦に行くことになりました。やっと親戚と会えそうです。 自分の病み具合を隠すことに疲れましたし、引きこもっている私は恥ずかしいやつ、よって隠れるべし、という私の考えは、私と同じように外に出られない誰かにも牙を剥いていると思って、母づてに私の現状をいとこ家族に伝えてもらいました。 すると、ほーそうなんか、くらいの反応だったそうです。「うちの職場にも福祉就労で来てくれてる子がいるよ」と。乾いてて助かったその2です。 小学生のいとこが私のことをどう思うか怖いですし、お年玉あげられなくてごめん!と会う前から落ち込んでいますが、「いろんな人間を見て、あるもので楽しんでくれ!」と投げやりな気持ちでもいます。 大晦日はB型作業所に行き、夜は母が作ってくれるらしいすき焼きを食べます。 元旦は祖母の家で持ち寄りパーティーになりそうです。私は何も持ち寄れそうにないので、運転、皿洗い、掃除などをやってきます。 弱っていると差し出せるものがものすごく少なくて貰うばかりになり、申し訳なくなります。回復できたら、なにかしらで返したいです。

槙野 さやかさんが

最近答えた質問

01月12日

続き質問

あけましておめでとうございます。年明けにマチアプへ挑みに行くと表明した女です。 無事に美味い蟹(雑炊も)と日本酒とウィスキーを食らい、さあやってやるぞと年明けを迎えたのですが、マチアプ挑戦を表明した友達のひとりから「アプリよりも先に立候補してもいい?」と言われたので早々にステイしています。なんと。 想定いただいた通りわたしは異性愛者女で、立候補した友達は男になります。傷の話は全くしていないのでこの友人であっても自分の出自を話す気重さは変わらずつきまとうし、そもそもそこまで辿り着くパートナーになるかは今後お互いの奮闘次第になるのですが、いま時点でも随分と気安い相手でもあるしこの人に話すのだとすれば少しは口も軽くなるのかしらと不思議な気持ちでいます。 実はほんの少し楽しみでいたんですよ。ぴかぴかの服を着てすました顔した自分かどのように赤の他人に見られるか。でも一旦おあずけのようです。 もし今後マチアプの海に飛び込むことがあったとしても、槙野さんにかけられた言葉を持っていこうと思います。わたしは幻のかんぺきな女ではないし、傷をめくってみせても怯まず話をしてくれるひとは何人もいる。自分だってそうした理解は自分に言い聞かせることもできたけど、「ほんとうのことだよ」と言ってもらってやっと腹の中に落ちていった気がします。人から貰わないと受け取れない言葉というのはありますね。ショートのカクテルをあおるような気持ちがしました。 槙野さんも手術がいよいよとのこと。どうぞ今年一年もお元気でお過ごしください。

01月12日

続き質問

槙野さん、あけましておめでとうございます。 温かいお返事をくださってありがとうございました。心がぬくぬくして元気が出ました。 やけっぱち、つい最近するようになった態度かもしれません。「いろんな人間が存在してていいはずじゃろがい」と思うことが増えました。  話は飛びますが、もともと鬱でダウンした大きな原因が「多方面でいい子をやり続けて限界が来た」からだと思います。 最初は小さい頃に家庭内で必要に駆られていい子をしていました。いい子を無意識でやり続けると、いい子を遂行しきれない自分が許せなくなり、いろんな人間が存在することも許せなくなっていました。 鬱になってからその歪みに気づいて、抵抗として「やけっぱち」をやり始めたのかもしれないです。 「いい子なんかやりたくないわい!」「体面の悪い私だってばーちゃんといとこに会いたいわい!」という感じで。 槙野さんのブログにはたびたび、いい子をやらない人が出てきますね。いい子を期待されても、「都合のいい子」を求められていると気づいて戦う人たち、ものすごく眩しいです。私もそっちに行きたい!と思いました。 私はいい子のおぞましさに気づくのが遅くて、恥ずかしく情けないですが、少しずつでも人生を捻じ曲げていこうと思います。 ひきこもっていることや元気がないことに関して「ほーそうなんか」くらいの反応の人、槙野さんがおっしゃるならわりといるんでしょう。たしかに数人の攻撃的な人や若干引く人ばかりを強く覚えてしまっていました。というか、そもそもオープンにした相手の母数が少なかったです。 じわじわとオープンにして、「ほーそうなんか」派の人たちを見つけようと思います。 それはそうと、元旦に祖母の家に行けました!しかし、いとこ家族は大晦日に風邪をひいてしまい会えませんでした。 会いに行くと決意したこと自体が前進だったし、祖母と叔母にはお互い元気で会えたので、かなりナイスなお正月です。 いとこ家族にはまたの機会に会えたらいいなと思います。 長い話を聞いてくださってありがとうございました。 手術を受けられるとのことで、お身体の疲れが長引きませんように。

01月12日

槙野さん こんばんは、はじめまして。 長い間年末はバタバタする職種でしたが突然カレンダー通りの連休となり戸惑っております。 それはそうと、周りではまったく共感してもらえない、 こどものころからお正月が苦手だった話を聞いていただければ、と思って書いてみることにしました。 親類縁者がいずれも遠くて、いわゆる田舎に帰る、ということはそんなに頻繁ではなかったのですが、 テールランプの赤い帯となった坂の向こうに見える赤い月、 父が運転しながら飲むコーヒーの入ったポットの匂い、 サービスエリアの汚れたトイレの床、 生臭く冷えたものばかりのおせち料理、 距離感が近く声の大きい親類のひとたち… ネガティブな印象ばかりが浮かんできますが、 何よりも嫌だったのはお年玉です。 酒の匂いのするよく知らない大人にぞんざいに手渡される小さな袋も、 なぜかこそこそしながら中身を確認することも、 数日の間によくわからない用途にお金が消えていってしまうことも、 悲しくて仕様がなかったのです。 クリスマスには、時間をかけて考えた欲しいものが、 朝起きたら枕元に置いてあったのに。 去年のものも、ちゃんと残っているのに。 そんなわけで、おとなになってもお正月は苦手なのです。 けれど、すっかり物心のついてしまったこどもたちにきいてみたところ、 お年玉のほうが断然いい、なんならクリスマスもアマギフとかでいい、 と言われてしまいました わが家にサンタクロースが来なくなってしばらく経ちますが、 こどもたちがちょっと喜べるものを考える時間を、私はまだ、 あと少しだけ捨てたくないな、と思ってしまいます。 わがままだとは、わかっているのですが。 今年も、槙野さんの新しい文章を楽しみにしております。 無理のないペースで、末永く更新していただけることを願っております。