こちらの質問回答への続きです

01月06日

質問者さん

あけましておめでとうございます。年明けにマチアプへ挑みに行くと表明した女です。 無事に美味い蟹(雑炊も)と日本酒とウィスキーを食らい、さあやってやるぞと年明けを迎えたのですが、マチアプ挑戦を表明した友達のひとりから「アプリよりも先に立候補してもいい?」と言われたので早々にステイしています。なんと。 想定いただいた通りわたしは異性愛者女で、立候補した友達は男になります。傷の話は全くしていないのでこの友人であっても自分の出自を話す気重さは変わらずつきまとうし、そもそもそこまで辿り着くパートナーになるかは今後お互いの奮闘次第になるのですが、いま時点でも随分と気安い相手でもあるしこの人に話すのだとすれば少しは口も軽くなるのかしらと不思議な気持ちでいます。 実はほんの少し楽しみでいたんですよ。ぴかぴかの服を着てすました顔した自分かどのように赤の他人に見られるか。でも一旦おあずけのようです。 もし今後マチアプの海に飛び込むことがあったとしても、槙野さんにかけられた言葉を持っていこうと思います。わたしは幻のかんぺきな女ではないし、傷をめくってみせても怯まず話をしてくれるひとは何人もいる。自分だってそうした理解は自分に言い聞かせることもできたけど、「ほんとうのことだよ」と言ってもらってやっと腹の中に落ちていった気がします。人から貰わないと受け取れない言葉というのはありますね。ショートのカクテルをあおるような気持ちがしました。 槙野さんも手術がいよいよとのこと。どうぞ今年一年もお元気でお過ごしください。

01月12日

槙野 さやか

槙野 さやかさん

私は思うのですが、恋人がほしいとか転職したいとか、何か新しいことをしたいとき、その望みをできるだけ広範囲に表明するのはとても大切なことです。 薄いつながりの他人であるほど、自分にとって知らない面を持っていて、思わぬことを教えてくれたり、人を紹介してくれたりするからです。 だから投稿者さんが「マッチングアプリ、やるぞー」と決意表明したのは賢明なことです。お友だちと蟹を食べたのも。だってそのお友だちは「友だちが蟹を食べて気合い入れたいって言うから、鍋やってきてさー」って周囲に話してくれるに違いないもの。蟹食って日本酒とウイスキーのんで気合い入れてる人、魅力的じゃないですか。強そう。山賊のような勢いを感じる。横でほら貝を吹きたい。 それにしてもずいぶん手近に候補者がいたものです。その人はタイミングを見計らっていたのでしょう。 恋人になりたい相手にその意思表示をしていないとき、どんなタイミングで言うかは、一般的に迷いどころであるようです。私などはこらえ性がないので、恋愛関係にかぎらず、好きな人がいたら走って行って「好き」と言うのですが、これは成功の確率を高める策を持たない非文明的な行為です。洗練された人々はできるだけ成功の可能性を高めてから恋愛のオファーをする。 そんな感じで、「いいなと思ってた人がマッチングアプリをやると言っている、今だ」と、その人は思ったのでしょう。 「実はほんの少し楽しみでいたんですよ。ぴかぴかの服を着てすました顔した自分がどのように赤の他人に見られるか」という、その気持ち、少しわかる気がします。「この上っ面が好きな人間がけっこういるみたいだね、ふん」というような、少し意地悪で同じくらいさみしくて、でも誇らしいような気持ち。 そういうのはね、また別途、消化する機会があると思います。恋愛の文脈じゃなくても、ちゃんとしたかっこいい社会人として見られるときなんかにも、そういう気持ちは出てきます。 もちろん、やりたくなったらマッチングアプリをやるのもいいでしょう。 手術後の経過は順調で、こうして時間差での会話をした次第です。 投稿者さんにとっても、素敵な年になりますよう。

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槙野 さやか

槙野 さやか

短編ブログ『傘をひらいて、空を』https://t.co/54T5XhoWkA 、感想文と読書会(https://t.co/N3Pva2w9ZX →Radiotalk #小さな鳥たちの読書会)。ときどき商業媒体の依頼原稿を書いています。 連絡先 [email protected]

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12月26日

こんにちは。先日30を迎えた女です。昨年は「レイシズムな母親と一緒に紅白見るのが辛い」というお話をこのバーで聞いていただきました。まだ帰省するつもりです。 今度も半分は益体もない話ですが、年末に置いて行かせてください。 このたび20代のほとんどの間、精神的に頼っていた相手と離れることになりました。初めは疑似恋愛のような関係でしたが、途中から彼は保護者のように態度を変えました。 それは仕方がないことだと思います。家庭環境が悪く庇護と承認を十分に得られなかった自分が、恋人と親の役割をいっぺんにひとりの人間へ求めたらそれは無理だし不健康でしょう。どちらかにしかなり得ず、彼は私の保護者側につくことに決めました。実際、年上である彼が「まともな大人」として背中を見せてくれたりカウンセリングをしてくれたおかげで、私は随分と人間としての身繕いができ、ぴかぴかした服を着て喫茶店やバーですました大人の振る舞いができるようになりました。今後は人間同士の友愛を育めると良いなと思います。ここまで前段です。 今後私はラブを柱に据えたパートナーと暮らしていきたいので、新たに人間と関係を築く必要があります。 しかし、ぴかぴかですました自分へ近づいてきてくれた相手へ、おそらく想定していないだろう育ちの事情(自分の情緒を否定し続けた親と今後親しくする気はないこと、性暴力を受け続けていたため子どもを産み育てることに手が伸びないこと)を、やがて話さなくてはならないのかと思うと気が重いです。 他人へ秘密を明かす時、親しさを見積もってタイミングを測ったり、相手へのケア、関係が離れてしまうことへの覚悟なども一緒に準備しなければならない。その将来がマッチングアプリのキラキラした顔写真や趣味欄の先に見えるのが、ひどく疲れます。気力を振り絞って、親友や前段の彼に話したことを、またやるのかと。しかし話さなければ、義実家関係や子育てなど、家族としての様々な選択調整の判断理由が不明瞭になります。すましたままでは真に相手を信用しラブを掲げることはできないと私は信じているのです。 年末は友人と蟹を食い強い酒をあおって、年明けから腹括ってマチアプ活動をしようと思うので、以上の話はただ聞いてもらいたかったのです。いつまでも膿んで治りきらない傷をぴかぴかの服で隠している我々は、いつか服を捲って見せなくてはならない。それは宿命なのでしょう。 誰も味方がいないと思っていた真っ暗な部屋の中、槙野さんのことばを遠くに光る灯火として眺め、無事20代を終えることができました。ありがとうございました。

槙野 さやかさんが

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01月12日

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あけましておめでとうございます。年明けにマチアプへ挑みに行くと表明した女です。 無事に美味い蟹(雑炊も)と日本酒とウィスキーを食らい、さあやってやるぞと年明けを迎えたのですが、マチアプ挑戦を表明した友達のひとりから「アプリよりも先に立候補してもいい?」と言われたので早々にステイしています。なんと。 想定いただいた通りわたしは異性愛者女で、立候補した友達は男になります。傷の話は全くしていないのでこの友人であっても自分の出自を話す気重さは変わらずつきまとうし、そもそもそこまで辿り着くパートナーになるかは今後お互いの奮闘次第になるのですが、いま時点でも随分と気安い相手でもあるしこの人に話すのだとすれば少しは口も軽くなるのかしらと不思議な気持ちでいます。 実はほんの少し楽しみでいたんですよ。ぴかぴかの服を着てすました顔した自分かどのように赤の他人に見られるか。でも一旦おあずけのようです。 もし今後マチアプの海に飛び込むことがあったとしても、槙野さんにかけられた言葉を持っていこうと思います。わたしは幻のかんぺきな女ではないし、傷をめくってみせても怯まず話をしてくれるひとは何人もいる。自分だってそうした理解は自分に言い聞かせることもできたけど、「ほんとうのことだよ」と言ってもらってやっと腹の中に落ちていった気がします。人から貰わないと受け取れない言葉というのはありますね。ショートのカクテルをあおるような気持ちがしました。 槙野さんも手術がいよいよとのこと。どうぞ今年一年もお元気でお過ごしください。

01月12日

続き質問

槙野さん、あけましておめでとうございます。 温かいお返事をくださってありがとうございました。心がぬくぬくして元気が出ました。 やけっぱち、つい最近するようになった態度かもしれません。「いろんな人間が存在してていいはずじゃろがい」と思うことが増えました。  話は飛びますが、もともと鬱でダウンした大きな原因が「多方面でいい子をやり続けて限界が来た」からだと思います。 最初は小さい頃に家庭内で必要に駆られていい子をしていました。いい子を無意識でやり続けると、いい子を遂行しきれない自分が許せなくなり、いろんな人間が存在することも許せなくなっていました。 鬱になってからその歪みに気づいて、抵抗として「やけっぱち」をやり始めたのかもしれないです。 「いい子なんかやりたくないわい!」「体面の悪い私だってばーちゃんといとこに会いたいわい!」という感じで。 槙野さんのブログにはたびたび、いい子をやらない人が出てきますね。いい子を期待されても、「都合のいい子」を求められていると気づいて戦う人たち、ものすごく眩しいです。私もそっちに行きたい!と思いました。 私はいい子のおぞましさに気づくのが遅くて、恥ずかしく情けないですが、少しずつでも人生を捻じ曲げていこうと思います。 ひきこもっていることや元気がないことに関して「ほーそうなんか」くらいの反応の人、槙野さんがおっしゃるならわりといるんでしょう。たしかに数人の攻撃的な人や若干引く人ばかりを強く覚えてしまっていました。というか、そもそもオープンにした相手の母数が少なかったです。 じわじわとオープンにして、「ほーそうなんか」派の人たちを見つけようと思います。 それはそうと、元旦に祖母の家に行けました!しかし、いとこ家族は大晦日に風邪をひいてしまい会えませんでした。 会いに行くと決意したこと自体が前進だったし、祖母と叔母にはお互い元気で会えたので、かなりナイスなお正月です。 いとこ家族にはまたの機会に会えたらいいなと思います。 長い話を聞いてくださってありがとうございました。 手術を受けられるとのことで、お身体の疲れが長引きませんように。

01月12日

槙野さん こんばんは、はじめまして。 長い間年末はバタバタする職種でしたが突然カレンダー通りの連休となり戸惑っております。 それはそうと、周りではまったく共感してもらえない、 こどものころからお正月が苦手だった話を聞いていただければ、と思って書いてみることにしました。 親類縁者がいずれも遠くて、いわゆる田舎に帰る、ということはそんなに頻繁ではなかったのですが、 テールランプの赤い帯となった坂の向こうに見える赤い月、 父が運転しながら飲むコーヒーの入ったポットの匂い、 サービスエリアの汚れたトイレの床、 生臭く冷えたものばかりのおせち料理、 距離感が近く声の大きい親類のひとたち… ネガティブな印象ばかりが浮かんできますが、 何よりも嫌だったのはお年玉です。 酒の匂いのするよく知らない大人にぞんざいに手渡される小さな袋も、 なぜかこそこそしながら中身を確認することも、 数日の間によくわからない用途にお金が消えていってしまうことも、 悲しくて仕様がなかったのです。 クリスマスには、時間をかけて考えた欲しいものが、 朝起きたら枕元に置いてあったのに。 去年のものも、ちゃんと残っているのに。 そんなわけで、おとなになってもお正月は苦手なのです。 けれど、すっかり物心のついてしまったこどもたちにきいてみたところ、 お年玉のほうが断然いい、なんならクリスマスもアマギフとかでいい、 と言われてしまいました わが家にサンタクロースが来なくなってしばらく経ちますが、 こどもたちがちょっと喜べるものを考える時間を、私はまだ、 あと少しだけ捨てたくないな、と思ってしまいます。 わがままだとは、わかっているのですが。 今年も、槙野さんの新しい文章を楽しみにしております。 無理のないペースで、末永く更新していただけることを願っております。