こんにちは。先日30を迎えた女です。昨年は「レイシズムな母親と一緒に紅白見るのが辛い」というお話をこのバーで聞いていただきました。まだ帰省するつもりです。
今度も半分は益体もない話ですが、年末に置いて行かせてください。
このたび20代のほとんどの間、精神的に頼っていた相手と離れることになりました。初めは疑似恋愛のような関係でしたが、途中から彼は保護者のように態度を変えました。
それは仕方がないことだと思います。家庭環境が悪く庇護と承認を十分に得られなかった自分が、恋人と親の役割をいっぺんにひとりの人間へ求めたらそれは無理だし不健康でしょう。どちらかにしかなり得ず、彼は私の保護者側につくことに決めました。実際、年上である彼が「まともな大人」として背中を見せてくれたりカウンセリングをしてくれたおかげで、私は随分と人間としての身繕いができ、ぴかぴかした服を着て喫茶店やバーですました大人の振る舞いができるようになりました。今後は人間同士の友愛を育めると良いなと思います。ここまで前段です。
今後私はラブを柱に据えたパートナーと暮らしていきたいので、新たに人間と関係を築く必要があります。
しかし、ぴかぴかですました自分へ近づいてきてくれた相手へ、おそらく想定していないだろう育ちの事情(自分の情緒を否定し続けた親と今後親しくする気はないこと、性暴力を受け続けていたため子どもを産み育てることに手が伸びないこと)を、やがて話さなくてはならないのかと思うと気が重いです。
他人へ秘密を明かす時、親しさを見積もってタイミングを測ったり、相手へのケア、関係が離れてしまうことへの覚悟なども一緒に準備しなければならない。その将来がマッチングアプリのキラキラした顔写真や趣味欄の先に見えるのが、ひどく疲れます。気力を振り絞って、親友や前段の彼に話したことを、またやるのかと。しかし話さなければ、義実家関係や子育てなど、家族としての様々な選択調整の判断理由が不明瞭になります。すましたままでは真に相手を信用しラブを掲げることはできないと私は信じているのです。
年末は友人と蟹を食い強い酒をあおって、年明けから腹括ってマチアプ活動をしようと思うので、以上の話はただ聞いてもらいたかったのです。いつまでも膿んで治りきらない傷をぴかぴかの服で隠している我々は、いつか服を捲って見せなくてはならない。それは宿命なのでしょう。
誰も味方がいないと思っていた真っ暗な部屋の中、槙野さんのことばを遠くに光る灯火として眺め、無事20代を終えることができました。ありがとうございました。

槙野 さやかさん
そうですか。それは一週間くらいゆっくり何もせず寝たり起きたりしているべきですね。
ぴかぴかの、ちゃんとした服を着て気取ってふんふんと振る舞える自分を好きになる人がいっぱいいるのは、当たり前のことです。だって私たちは、美しいからね。過酷な環境から生き残った人間に、そうでない人間は生命力の輝きを読み取る。そしてそれを美しいと言います。その外装が現代社会に適切であるのなら、彼ら彼女らは安心して私たちを好きになる。そんなだから、私たちは無駄にモテる。モテるというのは幻想を映すスクリーンとして優秀であると認定されることです。そんなのいっこもおもしろくねえや。
おう、去ね去ね。投稿者さんはそんなんに興味ないんだ。
投稿者さんはしちめんどくせえマッチングアプリ活動を前に(しちめんどくさい以外のなんだというのでしょうか、あのような個人と個人の感情のやりとりの前提をパソコンか車みたいなスペック競争の鋳型に入れるやつ。いち早く個人と個人の大切な話をさせろ)、めんどくさくなってます。
いいことだ。人間として当然のことだ。
お友だちと蟹を食い強い酒をあおって、そのとは好きなだけ寝ていたらいいのです。蟹はうまいよね。締めの雑炊はコメかうどんか迷うよねえ。せっかくの出汁がもったいないと思うかもわからないけど、ちょっとだけ味噌を入れてみてもらってもいいでしょうか。かすかなえぐみが消えて最高に美味しくなります。
さて、投稿者さんは蟹を食ったあと、まったく納得のいかない水準でやたらモテてしまうマジでしょうもねえマッチングアプリこと資本主義的恋愛市場に打って出ます。
そしてそのときにご自分の傷に関する取り扱いについて悩んでいらっしゃる。
あのね、世の中には、傷とかぜんぜんOKな人、たくさんいますよ。私が想像するに投稿者さんは、「ラブを柱に据えたパートナー」としておおむね男性を想定している異性愛者女性で(違っていたら申し訳ない、しかしこと恋愛市場に関しては性自認と社会的な立場がものすごく重要視されるので、私も投稿者さんの性自認と戸籍上の性別を想定せざるをえない、ほんとむかつく話ですが。しかし申し訳ない)、だから、市場価値がいちばん高い女性がどんなものかを想像していらっしゃるのではないでしょうか。
たとえばそれは、バービー人形みたく傷がなく、精神においても肉体においても完璧に健康に仕上がり、ありもしない正規分布のありもない標準偏差の、考え得るかぎりきわめて小さい(その相手、この場合はある男性が、自分を「強い」と思っていればいるほど狭く設定できる)範囲内におさまる人物のことではないでしょうか。
その人はあらゆる側面での「普通」をクリアするという、全日本人の統計に基づくベン図を描いてみればほとんど誰にもクリアできない、社会的評価のペンタゴンのあたうかぎり外側の、美しい五角形を描き、「欠落も過剰も知りません」という、そういう人ではないでしょうか。さらにその人は、それを思い浮かべる男性につきしたがうのではないでしょうか。
それは現代社会の女性たちに与えられている、あまりに不当な幻想です。
私はそういう人を見たことがない。誰もがどこかで、その範囲からはみ出していた。
でも人々はベン図の中央の夢を見ている。
私はそんなのいっこもおもしろくないと思いました。私が二十代のときのことです。私にはでけえ傷があり、しかしそのことを気に入らないなら、彼ら彼女らに私の人生に入り込む資格はない。たとえ彼ら彼女らが、そのほかのものをどれほど気に入って懇願したとしてもね。
ありもしないベン図のまぼろしの中央の夢を好きな人間を相手にする必要はない。
ねえ、そうは思いませんか。
世の中には服をめくって傷があったら、「おおそうか、ではその話をしよう」という人がけっこうたくさんいますよ。ほんとうです。投稿者さんは「そんなの友だちになる女だけだ」と思いますか? そんなことはないよ。男という人類の半分のことを、あんまり簡単に諦めないほうがトクだと思うよ。とくに異性愛者女性なら。
私は当時さかんだった合コンで一度きり会話した男性が「おれ『ブラック・ラグーン』のバラライカみたいな女がタイプなの。なんでかっていったらガキだったときにクシャナ殿下を好きになっちゃったからでぇー、あと背の高い女がすっごい好きでぇー」と言っていたのを覚えていますし(その人は精神についての話をしていました。合コンでなぜ。なお、クシャナ殿下については「わが夫となるものは……」というあのせりふを聞いて「なりたい!その夫に!!」と思った、というような話をしていて、私はめんどくさいなー早く帰りたいなーって思ってた)、私が親しくなった人々は誰も彼も私の傷を好きだよ。性別はいろいろです。
投稿者さんもきっとそのような人に出会います。
ほんとうのことだよ。そういう人はたくさんいます。
「戦って生きてきたら、傷が残ってたって、おかしいことは何もないでしょう」と言った人もいました。私はこのせりふをけっこう好きです。
蟹を楽しんでね。強いお酒は焼酎でしょうか、ウォッカもいいな。冬は蒸留酒の季節です。