30代半ば、結婚2年目の者です。
結婚して子供が欲しいと思っていましたがなかなかできず、病院で検査したところ男性不妊により私たちの遺伝子を持った子供を授かることは難しいことが分かりました。
出来れば夫の遺伝子をもった子が欲しいと思いますが、それはほぼ無理なので第三者から精子提供を受けることや特別養子縁組も視野に入れています。
中田さんは「養子でもいい」とお考えだったと思いますが、何故でしょうか。
夫のプライバシーもあるので知人にも話せず、相談したり意見を聞けるのは母や妹だけだったので中田さんの養子縁組を肯定的に考える理由をお伺いしたいと思いました。
中田:‖さん
「子供を育てたい」のか「"自分の"子供を育てたい」のか、どのあたりまでが本能に基づくのかはとても興味深い分野だと思うのですが、私の場合は前者に近かったんですよね。自分の子かどうかによらずとりあえず子供を育ててみたかった。もしかすると教師になってみたいという人と動機が似ているのかもしれません。「自分の子供だけに教育したい」という人は教師にならないでしょう。子供すべてに対して何かを伝えたいと思う人が教師になるのであり(そうあってほしい)、私の同機はどちらかというとそちらに近いのです。そして教室で教えられることには限界があるという確信があり、寝る前に読む絵本のチョイスだとか、TVを見た後のふとしたコメントとか、そういう普段の生活から教わる・伝えられることはとても多いと思うのです。私自身が親にしてもらったそういうことを、今度は親の立場でしてみたかったんですよね、別に自分の遺伝子でなくとも。
あと、私には10歳年の離れた弟がいまして、その弟を育てるのはとても楽しかったという一種の成功体験がありました。自分の子でなくともかわいいと思えるという確信があったのです。「いや弟なら血が繋がってるからかわいくて当然では」と思う人もいるかもしれませんが、それは決して自明ではありません。兄弟でも仲が悪ければそんな風に思わないでしょうし、逆に血が繋がっていれば甥っ子や姪っ子でもいいのか、あるいは8親等や10親等とかでもいいのかとか言い出すと、もはや何を以て「血が繋がっている」のかということもよくわからなくなってくるでしょう。
また、以前に「托卵比率は10%」という驚異の統計をご紹介したことがありましたが、女性と違って男性にとっては目の前の子が「自分の子」かどうかという絶対的な確証など最初から持てないという諦念もあろうかと思います。それでも妻が「私たちの子」と言うのならば私たちの子として育てよう、くらいの覚悟を持っている人もいます(それでいいのかという問題はありますが。夫が同意してないなら不当な搾取じゃないかという)。さすがに浮気が原因だと裏切られたと思う男性が多いでしょうが、そうではなく最初から第三者の精子提供あるいは養子という形で「あなたの遺伝子ではないけれど私たちの子として育てましょう」と言われた時に納得する男性は相当数いると思います。
で、保育園・幼稚園・小学校、あるいは公園などで他の子供たちを見ていると、育てやすそうな子/育てていて楽しそうな子、あるいはその逆(ありていに言ってク〇ガ〇)というのはかなり顕著に分かれるという印象を持っています。他人の子であっても前者なら余裕で育てられただろうし、後者なら自分の子であっても苦労しただろうなと。子供が後者だったとき、養子の場合は「もう施設に預けちゃおうか」みたいな選択肢が頭をちらついてしまいそうなところ、後者であれば「自分の子だから」と踏ん張りがききやすいという差はあるかもしれません。
個人レベルでなくマクロ政策としても私は養子縁組に肯定的でして、こんなにも「子供を育てたくない(けれどもできてしまった)」カップルと、「子供が欲しいのにできない」カップル(あるいは子供が欲しいけれども結婚相手がいない人)が同時に大量に存在するんですからマッチングさせない手はないと思うんですよね。養子だと虐待が起きやすいとか言われますけど、子供が欲しくない親に育てたれた子の虐待率も大概なものですから、現状の放置も十分に問題ではと思ったりします。現状では特別養子縁組をしたいと思ってもハードルが高すぎるので、もっとハードルを下げてもいいと思うんですよね。だって世の親はあんな高いハードルを越えて親になっているわけではないのですから。
横道にそれましたけれども、ともあれ旦那さんと相談してみたらいかがでしょうか。いずれにせよ夫婦の同意あってのことですから、まずは旦那さんと話さないことには何も進まないと思います。