こんにちは。来年度修了予定の修士課程2年生です。いまは日本の大学院に通っていますが、博士課程では北アメリカの大学に進学希望です。
研究分野のメインフィールドとサブフィールドの関心の両立について悩んでいます。修士課程のテーマは現代の文化で、博士課程に進学後は近現代の文化の歴史を貫くような研究をする計画を立てています。しかし、それらとは別に、論文や学会報告にしたいテーマが多すぎます。できる範囲で学会報告や紀要の文章の執筆には取り組んでいるものの、自分の関心のなかには江戸期の文化など、これまでの自分の研究・勉強とは異なるスキル(史料の読解など、調査や分析にかかわるスキル)が求められる主題も含まれており、興味を研究成果にするのがなかなか難しいこともあります。それらは一見まちまちなトピックばかりですが、根底にある自分の問題意識や、訴えていきたいアーギュメントにおいては連続している要素もあるので、自分としては不自然なことではまったくないですし、単なる興味で終わらせず研究成果にしていきたいです。
博士号取得後は北アメリカで大学教員になりたいと考えているので、東アジア研究の幅広いトピックに対応できるのは強みかなと楽観的に捉えているのですが、それにしてもやりたいことが多すぎるし、必要となるスキルも増える一方です。今後の大学院での日々において、どのようにメインの関心とサブの関心を分類・優先順位づけし、どのように多岐にわたるプロジェクトを維持し、どのようにスケジュールを調整しながら必要なスキルを勉強していけばよいのでしょうか。お考えをいただければ幸いです。

阿部幸大さん
Tipsありがとうございます。景気のいい話で最高ですね。どうやったら日本の大学教育でこういう人が育ちうるのかに興味があります。
さて、まずアメリカでの就職を考えているのなら、おっしゃるとおり、日本とは正反対の発想が必要で、色々できることが強みになります。なので今持っている関心というか野心を恐れずキープして、各プロジェクトを温めつづけてください。で、「こうすれば大丈夫」ってのはないんですが、これからアメリカにPhD留学するのなら、留学先のコースワークであなたの知的フレームワークは破壊・刷新されることになります。日本のアカデミアの価値観を介してアメリカを眺めるだけで終わってしまう人もいますが、あなたはたぶんアメリカで覚醒できるタイプです。そのための心構えとして、いま持っている「多すぎる」関心とプロジェクトをさらに拡大する勢いで学部一年生のように無尽蔵に吸収しながら、同時に、あなたがやりたいことをすでに実現してしまっている世界トップクラスの研究、研究者、研究書を探してください。いるはずです。なぜそう推測できるかというと、あなたは世界でいちばん好奇心が豊かなわけでも、世界でいちばん野心的なわけでも、世界でいちばん優秀なわけでもない、ということは、あなたよりも広い好奇心と大きな野心を持ちながら研究者として成功している人間は存在するに違いないからです。そういう人間がどういう成果を出すことを選択しなが生きているのか。あなたがアメリカで学ぶべきは、いま持っている関心のひとつひとつを、いま持っている論文観にしたがって論文化してゆくための方法論ではありません(それは日本でもできる)。それらを統合したひとつの巨大な研究プロジェクトを立案するための巨視的なパースペクティヴです。新しい研究観だと言ってもいい。俺も留学先で自分なりにそれを手に入れたわけですが、それは今思えばあまりにも大きくて、日本にいた頃は目の前にあっても認知することすらできませんでした。
いま自分の関心領域が広すぎるように思えているあなた自身が、帰国時には「なんて当時は視野が狭かったんだろう」と思えるようになりますように。グッドラック。