周りを見ているときょうだいで1番上の子が1番学歴が高い(最終学歴が偏差値の高い学校である)パターンが多いのですが、これは何が理由でしょうか?
(完全に私の主観であり、中田さんの周りではそうではなければすみません………)
親の期待が大きいのか、親が第一子は丁寧に育てがちだからなのか、下の子よりも若い時に産んだ子どもだからなのか…
尚、下の子の方が要領が良くて人間関係を築くのが上手な社交的な人が多い気もしており、羨ましいです。
はい、第一子の学業成績がきょうだいの中で最も良いという現象は世界中で観測されており、その理由の研究も世界中でなされています。マイケル・サンデル教授の”正義の授業”で、世の中はどれだけ公平かというテーマで話しているとき、きょうだい間での公平性の話をしていたのが印象的でした。ハーバードに来る学生の親はほとんどリベラルな思想ですから子供も平等に扱われている、と信じられているわけですが、しかしサンデル教授が「皆さんの中で第一子の人は?」と問うたら大多数が手を上げるという場面があって印象的でした。その中には「自分は公平に育てられた」と主張していた学生もいて、しかし自分は第一子であることに苦笑していました。即ち構造的な差異は必ず出てくるのだ、という話に繋がっていくわけですが。
多くの研究がありますが、教育に投入しているお金は同じなのになぜ成績に差があるのかという点では、やはり親の期待、あるいは「時間」「関心」といったリソースの割き方が違うのだろうと考えられています。子供の写真の数がその象徴であり、第二子、第三子になるにつれて急激に少なくなっていくあの現象です。どうしても第一子は両親の多大な関心が注がれるのに対して、第二子以降は慣れているので良くも悪くもテキトーになっていきます。私は三人兄弟の長男ですが、やはり残っている写真は私が一番多く、三男になるにつれて少なくなっていきました。何なら教育にかけるお金は三男になるにつれて増えていったのですが(これは親の昇給や仕事復帰に伴って経済的な余裕が出てきたからという事情もあります)しかし学業の成績という点では私が一番高く、これは親の期待やプレッシャーを私が一番受けたからと考えるのが自然でしょう。
もっと言うと、児童心理学的には、第二子や第三子は兄や姉といった「親の関心を奪うライバル」が最初からいるので、親の関心を惹くために兄や姉とは違う方向性の努力をするからだ、という説が有力です。学業という点で親の興味を引くことは兄や姉に勝てないからこそ、学業以外の分野あるいは性格の差で親の関心を惹こうとするのです。逆に第一子は親の関心を奪おうとする弟や妹に対抗すべく、現時点で先行者有利である学業の座をますます頑張るという構図ですね。
関係なさそうであるかもしれないと思ったのは、昨日ご紹介した学部生の卒論「五十音順の出席番号が成績に影響を与える」という話です。
https://x.com/paddy_joy/status/1925218308468695378
この仮説は、出席番号が若い=五十音順で若い苗字の人ほど、授業で発表する機会が多く集中力を要するから、というものでした。令和ロマンの「苗字がワタナベだと授業をサボれる」ネタの裏返しですね。もしかしたらこれも、「自分はいつも先生に注目されている」という緊張感(期待や重圧)という点では、第一子が受けているものと似ているかもしれないと思ったのです。だからお行儀も良いし成績も良い。第三子は親の管理・監督・関心が薄いので自由気ままな人生を歩みがちで成績が特に良いわけではない、というわけです。
書きながらもう一つ思い出したのは、経営学者メイヨーによる実験です。工場で働く人の効率化を図るために様々な条件で労働者の作業効率を調べてみたら、どのように条件を変えようと必ず実験前よりも作業効率が上がってしまったのです。なぜこんな非科学的な結果になってしまったかというと、「あなた方の作業効率を調べます」という他者からの注目(管理監督でもあり期待でもある)自体が労働者のヤル気に火をつけてしまって、労働環境がどうなろうが実験前よりがんばってしまったからなんですね。現代の職場でも、上司を含む周りの人からの関心が薄いと従業員が辞めがちである傾向は確かに見られますから、こういった「関心に応えようとする」意識は古今東西変わらないのだと思われます。
ただ、こういう「親や先生や上司の期待に応えよう」という垂直的コミュニケーションは友人などとの水平的コミュニケーションにはしばしば弊害を起こすので、そういうプレッシャーからは自由である第二子や第三子の方が社交的なのかもしれない、などと想像しております。