初めまして、いつも拝見しております。
コンサル夫婦の妻側ですが、夫と離婚すべきか悩んでおります。
ことの発端は、夫が出張先でのチームディナーの際、Tinderを用いて女性を呼び出していたことです。Tinderで女性を呼ぶ案を提案したのは同席していた同僚だったようなのですが、3人いるチームのうち2人が既婚者であるにも関わらず、いともすんなり受け入れて実行したようです。
発覚した経緯は省きますが、その瞬間まで私にはその一件を隠しており、発覚後も即アプリを消去されたためどのようなやり取りがなされたのかは分からないままです。体の関係はないと言い張っていますが、どこまでが本当かは分かりません。
もともと私が心配性な性格で、夫の飲み会に女性がいるのかを過去にもちょくちょく聞いていたことから「過敏すぎる」と言われてはいたのですが、案の定でした。
しかし夫は、その一件は自分の過ちだけれど、それ以前は一度も私を裏切っておらず、私の過敏さに嫌気がさして罪悪感が薄れていたのだと話しました。
ただ私も、自分の心配性という悪癖に向き合おうと、カウンセリングを受けたり書籍を読んだりしながら、夫に歩み寄ろうと努力はしていました。夫もそのことは認識しています。
さらに私が問題視しているのは、夫が所属しているファームの文化です。
Tinderの一件が発覚した際に、夫の社用チャットを見たのですが、同僚の女性の胸のサイズを男同士で推測したり、垣間見えた下着の色を報告しあったり、正直コンプラ意識のかけらも無い下品なやりとりが山ほど見受けられました。夫は「正直に言うが、男同士のノリだから仕方がない部分もある」と言いますが、自分のファームではあり得ない事柄だと思います。
そのような文化の延長線上に、出張先のチームディナーでマッチングアプリを入れて女性を調達する、という行為が発生しているのだと思われます。
夫はこの件を踏まえ、
・幼い子供がいるため離婚は避けたい
・GPSや監視アプリを自分のスマホに入れていいし、自分も逐一誰といるかを報告する
・私が望むなら会社を辞めてもいい
と言っています。
正直言ってどこまでパフォーマンスなのか分かりませんし、一度でもマッチングアプリを入れて女漁り(あえて下品な表現を使います)をしていた人間が、二度と同じことを繰り返さないとは言い切れません。更に、四六時中夫の行動を監視し続けるのは現実的に難しいですし、私の精神がすり減り続けるのは間違いありません。
しかし、この件を友人に相談しても「(コンサルであっても)シングルマザーは経済的に厳しい」「特定の相手がいたわけでは無いなら、償わせて辞めさせればいいのでは。離婚するほどでは無い」と言われてしまいました。
一方で、この件が明るみに出た夜、ショックで寝られないかと思いきや「心の中に燻っていた疑念が確信に変わった」ことで、もう正体不明の不安に苛まれなくて良いのだと、不思議と安心感を覚えてすんなり眠りにつけた自分がいます。
先程挙げた夫からの今後に向けての提案は、いつ弾けるか分からない時限爆弾を抱えながら精神をすり減らし続ける苦行にしか思えず、離婚に踏み切りたいとの思いが募ります。
だけど幼い息子にとってそれでいいのか。授業参観などで母親しかいないことに寂しさを感じている姿を想像するだけで胸が痛むし、私の稼ぎだけでは子どもが望んだ進学先に進ませてあげられない可能性もある。医学部や海外大なら尚更です。
自分はいったいどうしたらいいのでしょうか。何を選んでも八方塞がりでしかないような気がします。
どうか中田さんの視点からお考えを聞かせていただけないでしょうか。
(やけ酒を煽りながら書いたため取り留めのない駄文になっております。。)

中田:‖さん
お疲れ様です。とりあえず内容が内容なだけに4万人のフォロワーに晒されると身バレしそうですからTLからは消して非公開回答とさせていただきますね。
いくつか論点がありますが、質問者さんが書いて「いない」ことにヒントが多そうです。発覚した経緯を省くとありますが、ここは省くべきところではありません。なぜ発覚したのかといえば、この物語はもっと前から始まっていて、旦那さんへの猜疑心も今に始まったことではないからでしょう。もし結婚する前からそんな風にずっと疑いつつ、それでも結婚したのだとしたら相当な変わり者です。結婚前にはなかった猜疑心が結婚後に膨らんできて、そのきっかけとなるような言動があり、そしてその疑惑で夜も眠れなかったところ「ついに証拠を突き止めた」というのが実態ではないでしょうか。その「ついに証拠を突き止めた」方法は質問者さんの積極的な働きかけなしには発覚し得ないはずだからです。私たち夫婦ではお互いのスマホを覗きも触りもしないのでスマホのアプリの中に何かが入っていても発覚しようがありません。仮に私が、妻がアプリで何をしていたかを調べようと思ったら相当手の込んだことを積極的に働きかけねばならず、それは他の夫婦も同様であろうと思います。「事件が発覚したから夫が信じられない」のではなく「夫が信じられないからこそ事件が発覚した」、この順番が重要です。会社のチャットの件も同様ですね。
そして、その猜疑心のきっかけが何なのかは存じませんが、そこまで旦那さんのことを信じられないのであれば今後の結婚生活はいずれにせよ辛かろうと思います。これは思想信条の問題であり、一種の宗教に近いので、何が許せて何が許せないのかは夫婦で折り合わないことは当然あります。ご友人に「離婚するほどではない」と言われるのも宗教性の違いと言えるでしょう。一般に今回の事件は離婚に至るほどの事件性はありませんが、しかしいま重要なのは一般論ではなく「他でもないこの私がどう思うか」です。ご自身が許せないのであれば許さないという選択肢は当然検討すべきですし、離婚に伴う諸々の問題は別途対応するという考え方もあるでしょう。
いったん一般論だけ述べておけば、「GPSや監視アプリを入れてもいいし会社を辞めてもいい」とまで言い切るのであれば旦那さんはシロです。そして実際に今の会社は辞めてもらいましょう。組織の中で生きていくには相応にその組織に同調せざるを得ませんから、そういう組織の中にいれば同様のことが今後も起こり得るのは確かです。そしてこれは必ずしも旦那さんの本意ではなく、その本意は「組織に同調する」ことであるとういことも強調せねばなりません。そんなの理解できない、というのであれば、たとえば女子会の中で他の女子全員が特定の誰かの悪口を言っている中で自分だけが「そういう悪口を言うのは良くないと思う、私はあの人が好きだよ」と言えるかどうか、とういう問題に置き換えてみたらよいかもしれません。自分の居場所たるコミュニティの中で、そのコミュニティの総意に逆らう行為を行うのは極めて難しいものです。ましてそれが仕事の一部ともなれば。周りに同調して言ってしまった悪口は当然悪い行為ですが、それを以て「あなたは他人の悪口を言うような罪人だ」と解釈して永遠に断罪し続けるのもまた行き過ぎというものです。一般論としては。
繰り返しますが以上のことは一般論であって、一般論に迎合すべきというものでもありません。「手を出していないが心の中で配偶者以外の人を好きになってしまった既婚者は罪人か?」という問いの下で、それを罪と捉える宗教もあれば、そうではないと説く宗教もあります。これはたとえ話ではなく本当に宗派の違いなんです。そしてご自身の宗派の下で罪人とともに暮らし続けることが許せないのであればそこはもう袂を分かつほうがお互い幸せだと思います。「夫と暮らすのは苦行」と表現されていましたが、まさに苦行という言葉の語源も宗教ですから、無意識に宗教的な話に突入しているのですね。
気になることの一つはお子さんでしょう。文面を拝読する限り旦那さんに未練はなさそうで、お子さんだけが鎹になっているようにお見受けします。あとはご自身の宗派にお子さんをどこまで巻き込むのかという覚悟の問題ですね。そして、是非とも検討していただきたいのは「旦那さんがお子さんを育てる」方法です。旦那さんの周り(特に実親)が育児にサポーティブなのかは存じませんが、旦那さん側で育てられそうならそちらに親権と監護権を渡すという方法もあります。そして質問者さんはしっかり働いて稼いでそれを養育費や教育費として渡すことで、少なくとも金銭的には将来の枷にはなりにくいでしょう。授業参観の寂しさなどは「親の苦行」に比べたら小さな話です。苦行のせいで子供に八つ当たりが来るようなことがあれば逆効果ですしね。
「罪人に自分のかわいい子を預けたくない」という本音ももちろんあるでしょうが、お子さんの宗派は現時点で確定しているわけではなく、旦那さん側の宗派の方がお子さんにとって幸せである可能性は十分にあります。女性は女性にしかわからない女性社会での生き方や課題があるように(そしてそれは父親が教えることは困難であるように)、男性には男性にしかわからない生き方や課題があり、それは母親が教えることは困難です。特に質問者さんの場合は男性社会への忌避感(あるいは憎悪)と相まって息子さんを男性社会から遠ざけようとする可能性もあり得ると考えられ、その場合は息子さんの社会進出自体を困難にします。宗教二世の困難と相似形です。ややSNS的に露悪的な言い方をするなら、息子に対して潔癖な育て方をすると “チー牛”になってしまってむしろ女性から忌避されがちなになる、とも言えます。その意味で、「息子さんを旦那さんが育てる形での離婚」を是非とも選択肢に入れましょう。
(なお、その場合でもやっぱり旦那さんは今の会社を辞める方が良いでしょうね。Tinderとかを無視したとしても、同僚から各種のイベントに引っ張られがちなカルチャーだと子育てが困難だからです)
もう一つ気になるのは、普段から猜疑心に苛まれている人は、実は配偶者だけでなく「他人」全般を信じられないという人も一定数いるということです。誰に対しても、たとえば自分が育ってきた家庭の家族に対しても猜疑心が常にあるのであれば、それは実は夫婦関係ではなく人間関係全般について困難を抱えているのかもしれません。離婚を決断するにしても克服すべき別の課題があるのだ、という認識は必要です。降りかかってくる数々の困難に対峙する際に、他人を信頼できないというのは多大なハンデであり、それはお子さんにも多大なハンデとなるからです。単純な金銭問題ではなく、世の中を渡り歩くための術として、他人を信用していない親を見ながら育つというのは社会全体に対しての猜疑心を植え付けることになるからです。その場合は、やはり旦那さん側で育てるという解決法はあるものの、それはあくまでお子さんから見た解決方法であって、質問者さんにとっての問題は解決していませんから、それこそカウンセリングなどを駆使しつつ、自分はなぜ他人を信用できないのか、どうしたら信用できるようになるのかを模索していくことが必要になろうかと思います。やや踏み込んで回答したのは、周りにそういうモデルケースが複数いるからなので、考えすぎであれば失礼をお許しください。
というわけで、私からのご提案は
・苦行とまで言わしめる旦那さんとの生活には終止符を打つことも有力な選択肢
・ただしお子さんを質問者さんが育てるのが最良とは限らず、お子さんのためにも旦那さんが育てる選択肢を検討すべき
・もしその強い猜疑心が旦那さんだけでなく他人全般に向いている自覚があれば、根本的な困難の原因は旦那さん側ではないので、その猜疑心の解決を主眼に置くべき
です。この提案を見てどう思ったかというご自身の心の内面・本音を観察しつつ、コンサルのスキルを活かして次の打つ手を考えてみましょう。ご自身のような悩みを友人からされたらどう答えるか、を考えてみるのも有効ですよ。