研修医です。進路を決めるにあたり、専門じゃないから、と断る医師になりたくないなと思っています。そうなると、内科、総合診療、救急が進路として考えられるのですが、先生はそれぞれに何か違いはあると思いますか?どのプログラムに所属するかで、何か変わるでしょうか?
臓器別の先生からは、何か専門性があった方がいいと言われることが多いのですが、いまいちピンときません。
ただ、AIもどんどん発達してきて、差別化できた方がいいのかなとか考えてしまいます。
その一方で先生の書籍を読んでいると、とてもAIには取って替わることは難しいのかなとも思います。でも、なんでもみれるようになって、AIに替わられない医師になるにはセンスのようなものも必要なのかなと感じたりもします。進路も悩んでおり、先生の意見がありましたらぜひお聞きしてみたいです。

國松淳和さん
なんでも診る、というのは難しいのですが、手技(心臓カテーテル、副腎静脈サンプリング、腎生検、骨髄像の読み、内視鏡など)をしないけれどもそれ以外は全部やる内科医、ということは目指せると思うんですよね。もしそれに違和感を感じるなら、なんでも診るというのを技術化しているのはなんといっても救急だろうと思います。
何か専門があった方がいい、にちょっとでも賛成できるなら、海洋系の内科(神経、膠原病、感染症、内分泌代謝、血液)で専門を身に付けてから総合内科をやると良いと思います。海というのは大陸同士をつなげているというイメージです。なお、大陸系の内科というのは、循環器、呼吸器、消化器、腎臓です。
さて、先生くらい洞察が深い人だと、現行の「総合診療」は浅く感じていると思います。というか、このやり取りだけで、先生にもともと総合診療の”素養”があることがわかります。ひとつのことを深くやることを通して、他分野もわかるタイプというのは存在し、先生はそのタイプかもしれません。
なお、「断る・断らない」の話で、断る系の医師というのは、診断ではなく治療がヘタクソである傾向があると思います。診断を決めないと治療ができないと言い訳して、治療における工夫をしない(できない)のです。診断は決めるのは当然で、決められない時の”工夫力”で差が出るのです。診断が決められないことが多いのは当然なのに、決められないなと思うから、入り口の段階で断るのです。科や領域は、入り口的なものにすぎず、実際には診療を進めていけば科や領域は互いに繋がっていて、何科であろうと結局はみんな無意識に総合診療をしているのです。よって、総合診療なんて全医師にとってほぼ当たり前の話なのです。このあたりの考えから、”素養”があれば、何か軸になる専門があるというのには私はそこそこ賛成です。
AIに取って代わられることはしばらくないなと思う理由は、人間には感覚があるからで、AIにはまだ自発的に観察する能力はないですよね。論文から情報を得るとき、AIと人間に違いはないようでいて、「読み方」とか「解釈」というのもある種の感覚による営為だとすれば、同じ論文から情報を得ても運用の上手・下手、適切さなどははるかに変わってきますよね。
一番悲しいのは、自分の能力や感覚を信じきれずに、AIのもたらす情報を自分に入れた気になって診療していくことだと思いますが、いわゆる入学試験や資格試験、学校の試験などにAIを使って良いという時代がもしきたら私の考えも変えますが、当面試験にはスマホは持ち込み不可でしょうから、せっかく医学部等を突破したくらいの自分の脳の潜在能力を、しばらくはずっと使い続けて良いのではと思います。
脱線してすいません。来れるのでしたら一度外来見学にいらしてください笑