職業に貴賎はないという考えは基本としてもっておくべきでも、性を売り物にする業界には距離をとってほしい、一生近付かないでほしいのが女児の親の考えとしては強くあります。これは差別というより防衛です。
もちろん中田さんのご回答は立派ですし私もそういう風に子には言うかも知れません。差別バリバリの子に成長することは避けたいし、自分も周囲にはそういう建前でしか話しません。
しかし子にはやはり性を売る職業には就かないでほしいとは思ってしまいます。
子どもを守りたいからです。多くの成人男性は、女性が性をアピールするような服装や全裸等で仕事をすると「好きでやっているし活躍できているから良いこと」「表現の自由」「自信を持って輝いている」「それが好きな仕事なら良いじゃないか」と礼賛する一方で、一度その仕事がイヤになったと発言したり嫌だったなどと告白すると、男性がそうした女性のことを「脱いで稼いだくせに」「女を売り物にしていたくせに」「BBAになったから若さに嫉妬か」という失礼で的外れな発言をするに至る様子が散見されます。
そう言う男性の視線は全く失礼でおかしいですが、世の中そういう人間が多いですし、色眼鏡がある以上は、女児の親としてそういう歪んだ考えの人の標的にされがちな仕事や業界に近づかないでほしい、と思うのです。
関東出身で部落というのは大学入学するまで聞いたこともなく知り合いにもいませんが、一般的に「部落出身や人種、性別のように生まれた時から変えようがない事」と、職業選択の自由がある程度は保障されている現代において「性を売り物にする仕事を選ぶ」は大きな違いがあると思います。騙されてしまったりという話も聞きますが、そういう方は気の毒に思いつつ、娘にはやはり近づいてほしくありません。差別を植え付ける話はしないように育てていますが、本音はそうですし彼氏ができる頃になったら話し合いたいと思っています。
中田さんも建前上は、そうはおっしゃってもお嬢さんが大学を出てセクシー女優をしますとおっしゃられたら、反対はしないかも知れないですが他の道もあったのでは?と思われるのではないですか?
中田:‖さん
戦争が防衛を掲げて正当化されるのと同様に、差別も防衛を言い訳に使われるんですよね。「黒人街は犯罪率が高いから黒人と付き合わせないようにするのは親として当然だ」のように。「差別ではなく防衛です」じゃないんですよ、両者は両立するどころか強固に繋がっているのです。だからこそ私も部落の例で「部落民は犯罪率が高い」という言い訳の例を出したのですし、「部落民と結婚する」という"後から選択できる"行為についての差別の例を出したのです。「結婚の自由はある」と言われながらも、実際に結婚したら差別され、その状況が嫌になって離婚しようとしたら「部落特権を享受していたくせに」などと言われもない言葉を受けるところも貴君が出したAV女優の例と同じですね。「人種や性別のように生まれた時から変えようがないことと、選択できる職業は違う」という言い訳が当然予想できたので、選択できる「結婚」という例を予め出して説明したのに、それでもなお読み取ろうとしないところに、強固な「私の感情は差別ではない」と思い込みたい姿勢が読み取れます。
防衛であれば正当化されると思うことが自身の差別心に気づきにくくされているという影響が強いでしょう。でも同じように「我が子を守るために」というロジックで他の職業が貶められていたらどう見えるのかというところまで想像力が欲しいところです。リスクが高い職業なんていくらでもあるのに、なぜAV女優に特化して「我が子はこの職業には就かせたくない」と思ったのかを自省する必要があるでしょう。たとえば自衛官は他の職業より事故死率も自殺率も高いので「人生取り返しがつかないことになるリスクが高い」わけですが、これをもってして「我が子を自衛官にさせないために」などというスペースが開かれるのは妥当なのかとか。なお、自衛官に対する差別は阪神淡路大震災までは本当にひどくて、自衛官の子が教室で教員から「人殺しの子」などと罵られることさえありました。今でも子供を自衛官にしたくない親は多くいるでしょう。それはもしかしたら我が子を人殺しにしたくないという純粋な親心なのだと言い張るかもしれません。しかしその「我が子を人生のリスクから守りたい」という意識がなぜ自衛官だけに特化して向けられたのかを考えれば、その発言を公的な場で行った大人の醜い党派性が透けて見えるところでもあります。仮に今、「我が子を自衛官にさせないために」というスペースを開く親がいたら、その言い訳は「我が子を事故や自殺や戦闘から守りたい」になることでしょう。しかし他の職にも人生のリスクはあるにもかかわらず特定の職に特化して「この職はあなたの子もならせてはいけない」と啓蒙するスペースを開いてしまうその内心は、当該の職に対する差別が根底にあると言わねばなりません。
おそらくあなたは、これまでの教育の場で「あなたは差別主義者だ」と指導される経験が少なかったのではないでしょうか。アメリカの白人なら「お前は人種差別主義者だ」、男性なら「お前は女性差別主義者だ」、関西人なら「お前は部落差別主義者だ」と教育の場で教えられるわけですよ。部落という言葉さえ知らない時点で差別主義者も何もないと思うじゃないですか。そうじゃないんですよ、「私は差別主義者ではない」と思いたいそのロジックを教育の場で予めつぶしていくのです。子供の時点ではそんなことを思っていなくとも、これから大人になるにつれて「差別の正当化の論理」を次々と植え付けられていくからです。それはあなたが出した「誰かを守るためには正当な排除だ」も同様です。こういう教育を受けることによって、その後にそのロジックで誰かを排除したくなったら「ああ、これは差別のロジックだな」と気づきやすくなりますし、それを公の場で言ってしまうリスクが減ります。そしてこの差別のロジックに先天的か後天的かなんて関係がありません。肌の色も性別も門戸も、それを理由に差別しようとする動機は後天的に植え付けられているという点で職業差別と地続きだからです。付言するなら、同和問題は職業差別と表裏一体という歴史にも目を向ける必要があるでしょう。アメリカ人でもなく男性でもなく関西人でもないあなたは、きっとこれまで「あなたも差別主義者だ」と教育される機会がなかったが故に、自身の差別感情に気づけていないのだと推察されます。
私の主張を纏めると以下の通りです。
・人の心は弱いので特定の属性の人を差別してしまうことはある
・しかしそのことを自覚した上で、公の場で口に出してはいけない
・本当に誰かを守ることが動機なら、属性ではなくリスクの特性自体を説明すべき(「黒人街に行くな」ではなく「治安の悪いところに行くな」、「自衛官になるな」ではなく「死亡リスクが高い行為をするな」、「AV女優になるな」ではなく「友人知人に言えないことはネット上に残すな」など。これらのリスクは他の属性にも当然当てはまるからです)
あなたを含め複数の人から「お前の娘がAV女優になると言っても認めるのか」という質問がありました。何千、何万もある職業のうち、私が個人的に自分の子になってほしくない職業は複数存在します。しかし上記の通り「そもそもそれは公言するべきことはない」が私の主張なので、我が子になってほしくない職業リストも公開するつもりもありませんし、当然スペースで啓蒙活動などを行ったりは決してしません。